学生が就職以外の進路を選択する際に知っておきたい予備知識を、ゲスト講師に“7つの質問”を投げかけ学ぶ課外講座。東京・吉祥寺にある芸術複合施設「Art Center Ongoing」代表の小川希さんを講師に迎え、アートを仕事にするということや、個人で営む芸術複合施設の成り立たせ方、そして小川さんが手がけてきたプロジェクトなどについてお聞きしました。
●ゲスト講師 小川 希(美術作家/Art Center Ongoing 代表)
●聞き手 酒井博基(株式会社ディーランド代表取締役)
自分たちで価値をつくりアートで社会とつながる
酒井博基(以下、「酒井」)今回は「東京でアートを仕事にしても死なない方法」というかなり刺激的なタイトルで、小川さんのリアルなお話が聞ければと思っています。まずは「Art Center Ongoing」がどう始まったのか、その経緯を教えてください。
小川 希さん(以下、「小川」)僕はムサビの映像学科出身で、20年以上前にみなさんと同じようにここで勉強していました。当時は学部を超えた交流はほとんどなく、社会とどうつながっていけばいいのかもまったく手がかりがない状態でした。たとえば展覧会を開くとしたら、アルバイトで10〜20万円を貯めて、銀座の貸し画廊で展示をする。でもだいたい友達や親しか来ない、というのが普通だった時代です。僕はそれがすごく不毛だなと思っていました。果たして自分たちが勉強していることが、社会で役立っていくんだろうか。これがなんのためになり、社会とどうつながっていくんだろうと、疑問に思いながら学生時代を過ごしていたんです。
ムサビを卒業したあとは、東京大学の大学院に入学しました。そこで自分が抱えてきた疑問を現実的に考えていくために、「Ongoing」というプロジェクトを立ち上げました。Ongoingは簡単にいうと公募展です。一般公募で作家を集めて展示を行うプロジェクトでした。大学で勉強していたことがあまりにも社会から離れているという思いがあったので、現代社会を生きる人が身近に表現に触れられるような場をつくることが目的のひとつでした。さらに、作家が自分たちの表現の価値や質を向上できるような場をつくりたいという想いもありました。
Ongoingが具体的にどのようなプロジェクトだったかというと、僕が1976年生まれなので、自分と同じ1970年代の作家が応募できる公募展にしました。まずは同年代の作家がどういうことを考えてどういう表現をしているのかを知ることから始めたんです。その年齢制限が、この公募展の唯一の条件でした。公募展なので作家を募り選考するわけですが、Ongoingではキュレーターや審査員ではなく、応募者一人ひとりが、同じく応募者である作家のプレゼンを聞いて投票し、得票数が多い作家が出展できる仕組みにしました。これは、誰かに価値を委ねるのではなく、自分たち自身でおもしろいものを決めていく必要があると考えたからです。そういうシステムをつくることから始めて、2002年に最初の展覧会を開催しました。
(小川)社会とどうつながっていくかがOngoingのテーマのひとつだったので、展覧会は六本木の使われなくなった中学校で開催しました。小さな場所を借りて小さく開催しても、結局社会とつながることに結びつかない。一般の人たちが足を運びやすい場所で、なおかつある程度大きな規模で開催することが重要でした。作家たちに教室や廊下を割り当てて展示をして、シンポジウムやトークイベント、ツアーを開催したり、カフェスペースをつくったりしました。参加する作家同士で話し合って、美術に興味のない人たちにも楽しんでもらうにはどうしたらいいか考え、プログラムをつくっていきました。
当時はまだインターネットが発達していなかったので、告知については、フォーマットもないし実物を見たこともなかったプレスリリースをなんとかつくって、新聞社や雑誌、ラジオなどのメディアに片っ端からFAXしました。その結果、初日に朝日新聞が取材に来て、翌日の全国版の朝刊に取材記事を掲載してくれたんです。新聞の影響はすごくて、一般の人が連日たくさん観に来てくれました。
そもそもOngoingは、お金もコネクションもない、立ち上げたばかりのプロジェクトでした。展覧会の経費はどうしたかというと、自分たちでつくったカタログを販売して賄うことにしました。参加した作家が見開き1ページずつでプロフィールと作品を載せてカタログにし、それを入れるバッグも手づくりで凝ったものにして3000円で販売したんです。結果的に完売して売上は70万円以上になり、会場費やチラシ代などをカバーすることができました。それまでは自分でアルバイトして貯めたお金で展示をして10人も来ないという世界だったので、初回のOngoingで経験したことのない状況になり驚きました。自分たちで考えて社会に訴えかけたらちゃんと反応があったということに高揚感も生まれて、こういう活動にどっぷり浸かっていくことになりました。
アートを通じてコミュニケーションが生まれる豊かな場所
(小川)Ongoingはその後も吉祥寺の飲食店や豊島区の廃校、横浜にできた「BankART1929」という文化芸術施設など、場所や内容を変えて、全部で5回開催しました。公募の条件や作家自身が投票して参加作家を決めるという仕組みは変えずに。ただ、回を重ねるごとに作家の集め方や助成金の申請、広報など、展覧会のつくり方がわかってきたこともあり、5回目の開催を最後と決めて運営していました。最終的にはのべ300人以上の作家たちと関わり、大きなネットワークもできていました。
(酒井)プロジェクトが終わり2008年にオープンした「Art Center Ongoing」は、どのような場所になったのでしょうか。
(小川)まず「アートセンター」という言葉に耳馴染みのない方もいると思います。ヨーロッパでは割とあちこちで見かけるのですが、ギャラリーでカフェもあり、展示だけでなく音楽やパフォーマンスライブ、ワークショップやシンポジウムも開かれ、街の人たちが集まってくるような場所です。文字通り、アートを中心に人が集う場所というイメージです。僕は高校時代にヨーロッパで大小さまざまなアートセンターに出会い刺激を受けて、日本にないならいつか自分でつくろうと思っていたんです。
Art Center Ongoingは吉祥寺の駅から10分くらいのところにあり、1階がカフェで2階がギャラリーです。いつも展示をやっていて、作家の資料が読める本棚もあり、週末になるとイベントが開かれる。学生のころから思い描いていたアートセンターというものを、小さいながらも実現させた場所です。僕が「いつかアートセンターをつくる」と言い続けていたので、立ち上げにあたっては設計からリノベーションまで、たくさんの作家たちが無償で手伝ってくれました。僕はArt Center Ongoingを、有名でなくても売れていなくても実験的なことをやりたい作家たちが自由に使える場所としてつくりたかった。今年で17年目に入りましたが、いろんな作家が集まり、挑戦的なことをやり続けています。
(酒井)立ち上げの資金や運営についてもお聞きしたいです。
(小川)はい。みんなが無償で手伝ってくれたとはいえ、お店をつくり運営していくというのは、当然ですが相当なお金がかかります。立ち上げ資金については、学生がいきなり銀行から融資を受けることは難しいので、貯金しておいた大学院の奨学金を充てました。これはいまも返済中です。そして運営について。アートセンターは貸しギャラリーではないので、作家から場所代は受け取りません。カフェの収入はありますが、お金のない作家が来ればビールを奢ったりするので、立ち上げた当初は「このやり方ではすぐ潰れる」とたくさんの人に言われました。
実は僕は大きく勘違いしていたのですが……ヨーロッパで見たアートセンターは、どれも行政が運営しているんです。つまり税金で回っているのですが、僕はなぜか個人で始めてしまった。こういう場所を個人が立ち上げて運営しているというところは、日本中探してもあまりないと思います。
場所を立ち上げてからは1カ月ごとに展覧会を替えていましたが、半年くらい経つと、最初の週と最終週は人が来るけれど、2、3週目は誰も来ないという状況になっていました。そこで友人の助言もあり、展示のサイクルを2週間に変えたんです。すると展覧会の回転が早いので、運営も回り出すようになりました。1週目は月・火で搬入して週末にオープニングパーティー、2週目はトークショーなどを企画して人を呼んで、日曜日にクロージングして搬出。3週目の月・火で次の作家が搬入。企画展をこのペースで休みなくやっているアートスペースは、ほかにないのではないでしょうか。もう15年以上このとんでもないサイクルで続けてきましたが、1カ月ごとの企画展だったころに比べて人はかなり来てくれるようになり、アートセンターをハブとしたネットワークもかなり大きくなっています。週末のイベントではアート領域に限らずさまざまなジャンルの人がゲストで来てくれて、お客さんも含めて本当にいろんな人が交わる場所になりました。
ただ、運営面はというと、もちろんアートセンターだけでは黒字になりません。Art Center Ongoingを始めて2年くらい経つと、自治体などから仕事の依頼がくるようになり、外部の企画のキュレーションやディレクションをするようになりました。いまはそのお金でArt Center Ongoingを運営しています。2週間ごとの企画展のほかにも、アーティスト・イン・レジデンスで国内外から作家を招いたり、アーティストやキュレーターなどが集まる集団としてコレクティブを立ち上げて地方の芸術祭に参加したり、子ども向けのスクールを開いたりと、いろいろな活動を展開しながらいまに至ります。
質問1 いまのお仕事で食べていけるかもと思ったのはいつですか?
(酒井)アートセンターを公的な助成金や補助金を使わずに個人で運営しているというのが本当に驚きですが、ここからは7つの質問でさらに詳しくお話を聞いていきたいと思います。まず最初に「いまのお仕事で食べていけるかもと思ったのはいつですか?」という質問ですが、そもそもアートを仕事として意識し始めたのはいつごろだったでしょうか。
(小川)アートセンターをつくることは、高校生のころからの夢でした。Ongoingのプロジェクトを始めた当初は、僕自身もひとりの作家として参加していたのですが、そのころにほかの作家たちから言われたのが、「僕たちにはあなたみたいな人が必要」「プロデュースに専念してほしい」ということでした。たしかに企画書を書いたりプレゼンしたりということが、作家たちのなかでは得意だったのだと思います。それで、アートセンターを立ち上げたときに、作品をつくるのはやめて運営に専念することにしました。
Art Center Ongoingは家賃と維持費で月に数十万かかりますが、先ほどお話ししたように、作家からお金を取って場所を貸すわけではありません。場所の売上は飲食がメインですが、駅から歩いて10分もかかるところにわざわざ来るのは作家しかいません。最初のころは、僕がそこに常駐しているのでいろんな作家が来て飲んでいってくれたりして、展示を1カ月から2週間のサイクルに切り替えてからは、月に場所を維持できるぐらいの売上が出るようにはなりました。ところが外部の仕事が増えて僕がいない時間が多くなると、作家が来てバカみたいにお酒を飲むということもなくなっていき、アートセンター自体は赤字になってしまった。ただ、潰れそうになると仕事が舞い込んできたりすることは何度もあり、外でお金を稼いでその赤字を埋めながら、本当にギリギリ潰れないで済んでいるという感じです。
(酒井)大体の人はビジネスを立ち上げるにあたり、ビジネスモデルをつくったり事業計画書を書いたりしますが、小川さんの場合はやりたいことがすでに始まっていて、それを持続させるために、現実的に辻褄を合わせていくビジネスモデルを構築していったという印象です。ギリギリでも走り続け17年目を迎えるというのは、アートセンターという場所に対する強い想いがあるからこそだと思います。高校生時代に見たヨーロッパのアートセンターは、小川さんにとってどんな印象だったのでしょうか。
(小川)高校時代に兄がベルギーにいたので、兄の住まいを拠点としてバックパックでヨーロッパ中を旅行したのですが、どこに行っても大体アートセンターというものがありました。小さな街にもあったし、音楽に特化したアートセンターもあれば、演劇やフィルムに特化したアートセンターなど、規模も特徴もさまざまでした。展示をしているのはビッグネームのアーティストだけではなく地元の学生や無名の作家たちもいた。入ってみると若いアーティストがビール飲みながら議論しているし、コーヒーを飲みにきた地元のおじいちゃんやおばあちゃんと血気盛んな“アート野郎”たちが、アートを通じてコミュニケーションをとっていたりする。週末になるとイベントをやっていて、モノクロ映画をすごく安い値段で見られたりもする。人のつながりができるし、アートのヒストリーともつながれる場所。その環境を目の当たりにして「なんて豊かなんだろう」と思いました。
(酒井)Art Center Ongoingの立ち上げから15年経ち、始めたころと変わってきたことはありますか?
(小川)立ち上げたときは30歳で、もちろんそのときに比べるとすごく体力が落ちていますし、同じ勢いではできないですね。ただ時間が経つにつれて関係性だけはどんどん大きくなっていっているので、その関係性に助けられて生かされていると感じます。
ご自身の問いや強い思いから活動が立ち上がり、自らの力で場を継続させてきた小川さん。後半では具体的な収入源やこの先の展望などについてお聞きします。
<講師プロフィール>
小川 希/Art Center Ongoing 代表
1976年東京都生まれ。2008年1月に東京・吉祥寺に芸術複合施設Art Center Ongoingを設立。現在、同施設の代表。文化庁新進芸術家海外研修制度にてウィーンに滞在(2021-2022年)。中央線高円寺駅から国分寺駅周辺を舞台に展開する地域密着型アートプロジェクトTERATOTERAディレクター(2009-2020年)、レター/アート/プロジェクト「とどく」ディレクター(2020-2022年)、茨城県県北芸術村推進事業交流型アートプロジェクトキュレーター(2019年)、など多くのプロジェクトを手がける。
https://www.ongoing.jp/