学生が就職以外の進路を選択する際に知っておきたい予備知識を、ゲスト講師に“7つの質問”を投げかけ学ぶ課外講座。ゲスト講師はマネジメントやコーディネート、ネットワークづくりなど、アートを介してヒト・モノ・コトをつなげる“アートメディエーター”として活躍するTiarart.com代表の冠 那菜奈(かんむり・ななな)さん。後編では仕事の値付けの考え方やトラブルのこと、冠さんの仕事の肝でもある情報収集などについてお聞きしました。

●ゲスト講師 冠 那菜奈さん(アートメディエーター/Tiarart.com代表)
●聞き手 酒井博基(株式会社ディーランド代表取締役)

> 前編を読む


質問3 相場があまり決まっていない仕事は、どのように値付けしていますか?

(酒井)お金に関する質問です。作品をつくるなど、形のあるものだとある程度相場があるかと思いますが、冠さんのような仕事は値付けが難しいのではないでしょうか。

(冠)これはまさに自分に対しての値付けでもあり、日々悩むところです。ただ、自分のなかで基準をつくっておかないと疲弊していくので、1年間でどれくらいの収入が必要なのかを軸に考えています。フリーランスになると決算や確定申告で1年間の収支を自分で把握することになります。また、実際に生活でどれくらいのお金が出ていっているのか、どれくらい貯金したいのかを見える化する。そうやって年間でどれくらいの収入があればいいのかということを見据えたうえで、プロジェクトの期間やボリュームによって交渉しています。

また、インターネットで検索すると、年齢別の平均収入がわかります。私は今年で36歳ですが、アートを社会の中により浸透させていきたいという思いで仕事をしているので、ほかの職種の人たちと同じくらい収入を得られるようになっていかないといけないと思っています。そうしないと自分も含め下の世代も続けていけないので、それも交渉する際のひとつの目安にしていますね。ただ、すでにプロジェクトの予算が決まっている相談もありますし、おもしろいプロジェクトであれば先行投資として自分の基準より低い金額で引き受けることもあります。

(酒井)いくつかの側面から、自分が疲弊しない値付けという自分の基準を決めておくこと、そのうえできちんと収益化するものもあれば先行投資のものもあるということですね。毎月決まったお給料が入ってくるわけではない働き方だと、年間で収支を見ることは大事だと思いました。

質問4 仕事でトラブルにあったのはどんなとき?

(酒井)次は仕事のトラブルについてです。冠さんの業界で起こりそうなトラブルはどんなものなのでしょうか。またトラブルにあったらどう対応していくのかも教えていただければと思います。

(冠)アートプロジェクトではいろんなトラブルが起こりますが、個人で仕事をしていくときに本当に大事なのは「身体」です。とあるプロジェクトで、アーティストと一緒に現場に詰めて、ほとんど寝ないで制作を進め、やっとオープニングを迎えたことがありました。それでちょっと気が緩んだんでしょうね。オープニングのあとに自転車で滑って転んで骨折してしまいまして……。救急車で病院に運ばれました。そのときは自分が会場に行けなくなってしまったので、代わりに行ってくれる方と即座に情報共有して現場を託すということをしました。自分が動けなくなるとたくさんの方に迷惑をかけてしまうので、とにかく普段から自己管理が大切ですね。

(酒井)フリーランスは本当に自分の身体が資本で、貯金や積み立てという投資も必要ですが、普段からしっかりオンとオフを分けたり、休むときは休むと決めて自分の健康面に投資することも大事にしないといけないですよね。

(冠)そうですね。私は仕事と休みをあえて分けないことを意識していますが、オンとオフは非常に大事だなと思っています。

質問5 アーティストなど人との関係づくり、情報収集で気をつけていることは?

(酒井)冠さんの仕事は人との関係づくりのほかに、いかにいろいろな情報を持ってそれをどううまく使うかも大事かと思いますが、人間関係や情報の集め方、扱い方で気をつけていることはありますか?

(冠)情報を多角的に得るようにするというのは気をつけています。業界の中ではたくさんの情報が人づてに集まってきますが、そこで得た情報をウェブサイトやSNSで調べて、いろいろな側面を知ったうえでコミュニケーションを取るようにしています。また文字情報だけではなく、実際にその方と会ったりその方の周辺のことに触れたりするほうが得られることは多いので、気になったら作品を見に行ったりご本人にお会いしたりします。また展示されている環境を見たり、キュレーションした方にお話を聞いたりすることも、情報を集めるうえでこれまでずっとやってきたことですね。実際に目にして体験して感じるというのは、やはり大事だと思っています。

(酒井)冠さんにとっての情報は、経験や体験そのものでもあるということですね。人に会いに行くというのは、なにか理由がないとちょっと行きづらいということはありませんか? どうやって連絡をとっているのでしょうか。

(冠)学生時代は学生のメディアチャンネルをやっていたので、取材を通して会いにいったりもしていました。SNSから連絡をしてみたり、大学の中でつながりがありそうな人を見つけて紹介してもらったり、とにかくあらゆる手段で連絡を取っていました。もちろん、お会いしてお話ししたい、ぜひ一緒にやりたいという思いがあることが前提ですが、なんとか連絡が取れれば誠意は伝わると思います。最近はコロナ禍の影響もありましたが、リアルでは会えなくても、オンラインでなにかできることがないかを考えてアプローチしたりしていました。

質問6 フリーランスで成功する人、しない人の違いは?

(酒井)冠さんにしかない情報の蓄積や人のつながりがあるからこそ、「なにかあったら冠さんに相談しよう」と仕事につながっているということがとても納得できるここまでのお話でした。では、フリーランスで成功する人としない人の違いはなんだと思いますか?

(冠)業界のすごい先輩方を見ていると、みなさん自分というものをしっかり持っていらっしゃるなと思います。私のような職種の場合は、やっぱり人との出会いを大切にするとか、お会いした人の顔や情報をちゃんと覚えるとか、この人と仕事してよかったなと思える仕事を蓄積していっている方。ずっとフリーランスだったり起業したりはそれぞれですが、そういう方はしっかり自分の名前で事業を続けている印象があります。

(酒井)作家やフリーランスだと個性が際立っていないといけないような気がしてしまいますが、それよりも「自分はこうありたい」という姿勢が必要なんですね。先ほどの値付けもそうですが、自分の姿勢をはっきりさせておかないとフリーランスや作家であることの醍醐味が損なわれてしまうのかなと感じました。では、最後の質問です。

質問7 フリーランスでうれしいとかつらいなと感じる瞬間はどんなとき?

(冠)ある意味“なんでも屋”でもあり、表には見えない地味で目立たない仕事も多いので、9割くらいは大変です(笑)。ただ、アートプロジェクトやイベントで、実際に来てくださったお客さんが「すごく楽しかった」と言ってくれたり、関わったメンバーが「一緒にやれてよかった」と言ってくれたりしたら本当にうれしい。そのひと言をもらうためにやっていると言ってもいいと思います。フリーランスはいろんなところでいろんな方と仕事ができるので、その環境は本当にフリーランスをやっているからこそだと思えるのもうれしいです。

また、特定の地域に入っていって行うアートプロジェクトでは、最初は「アートとかよくわからないから」と言っていた住民の方が、コミュニケーションを取りながら時間をかけて準備を進めていくなかで少しずつわだかまりが溶けていくことがあります。実際に展覧会が始まると、その地域の方が作品の前に立ち、訪れた人に一生懸命説明してくれている、みたいな状況が起きたりするんです。アートにはそういう力があるし、そういう人の変化が見えるのもすごく楽しみで、その一瞬のためにやっているのかなと思います。


<講師プロフィール>
冠 那菜奈/アートメディエーター

1987年生まれ。武蔵野美術大学芸術文化学科芸術文化プロデュースコース卒業。大学内外でアートマネジメントを勉強しながらさまざまなアートプロジェクトに関わる。自分自身がメディア(媒介)となって、魅力的な人をつなぎ、情報を伝えていくことを目指す。それぞれのニーズに合わせて企画やコーディネート、マネジメント、広報・PR、司会、ライティングなどを担当。近年の主な活動・企画として寺田倉庫アート事業コーディネート、東京芸術祭広報チーフ、PROJECT ATAMIプログラムディレクターなどがある。
http://www.tiarart.com