学生が就職以外の進路を選択する際に知っておきたい予備知識を、ゲスト講師に”7つの質問”を投げかけ学ぶ課外講座。今回の講師は、ムサビの油絵学科版画専攻(現・グラフィックアーツ専攻)を卒業、そして大学院美術専攻版画コース(現・グラフィックアーツコース)を修了し、現在は銅版画家として活動する村上早さんです。
幼少期のトラウマや記憶をモチーフにした大型の銅版画で注目を集め、東京国立近代美術館など、複数のパブリックコレクションに作品が収蔵されている村上さん。前編では、作家になることを決意するまでの葛藤、そして自分だけの表現を手に入れるに至った学生時代の過ごし方について語っていただきました。
●ゲスト講師 村上早(銅版画家)
●聞き手 酒井博基(株式会社ディーランド代表取締役)
幼少期の記憶と向き合う大型銅版画
酒井博基(以下「酒井」)最初に、普段どのような活動をされているのかについて教えてください。
村上早(以下「村上」)群馬県にアトリエを構えて銅版画を制作しています。大学在学中から銅版画に取り組んでいて、アトリエでの制作は8年ほどになります。作品のモチーフは幼少期のトラウマや記憶で、そこに物語性を絡めて絵にしています。サイズは150cmほどの大型のものがメインです。
(酒井)150cmというのは、かなり大きいですね。
(村上)当然ながら150cm以上の大きさのプレス機がないと刷れないので、アトリエのスペースのほとんどをプレス機が占めています(笑)。銅版画は、銅の金属板を腐食液という液体で溶かして傷をつけ、そこにインクを詰めて、紙に圧をかけながらインクを刷り取る技法です。有毒な溶剤も使いますし、なかなかエネルギーのいる作業です。

作品については、ちょっと怖いと感じるようなモチーフが多いと思います。車輪に引き込まれていく人物だったり、机の下に隠れている子どもだったり。そのぶん、ちょっと笑えるようなユーモアを混ぜることを意識しています。悲しい、怖いという方向に全振りするのではなく、どこかにおもしろいなと思えるポイントを入れると、見る人に興味を持ってもらいやすいと感じています。

なお、大きい作品がメインではあるのですが、小さい作品も同じくらいつくっています。大きい作品はコレクターさんや美術館の方でないとなかなか手に取っていただけないので、手頃な価格の小さい作品も一緒に展示するようにしています。
(酒井)学生時代に参考にしていた作家さんはいますか。
(村上)ドナルド・バチェラーやヨックム・ノードストリューム、五木田智央さん、依田洋一朗さんといった方々の作品をよく見ていました。真似をするというより、好きな作家さんの絵を自分の意識のなかに溜めておいて、自分の絵を作るときにそこから手助けしてもらうような感覚で、画集や絵本も積極的に集めていました。
質問1 作家になろうという気持ちが固まってきたのはいつ頃ですか? どんな覚悟が必要ですか?
(酒井)作家になろうという気持ちが固まってきたのは、いつごろのことでしたか?
(村上)大学院に進学することを決めたタイミングでしょうか。3年生のとき、初めて先生から講評で「いいんじゃない」と作品を褒められ、その後4年生の卒業制作でようやく自分のスタイルがつかめてきた感覚がありました。それで、「もう少しここで制作を続けたい」と思い、大学院に進むことを決めたんです。

(酒井)大学院のほかに、就職という選択肢はありましたか?
(村上)就職した同級生に対して、「私っていつまで絵を描いてるんだろう」という劣等感を抱いたことがありました。でも、会社で働いている自分はどうしても想像できなかったので、「作家でやっていかなければ生きていけない」と思い詰めていて。いま振り返ると、本当に暗い学生でした(笑)。
(酒井)実際に作家になって、いかがですか。
(村上)作家は、社会的な立場が苦しい仕事です。「なんのお仕事をされているんですか」と聞かれた時に「作家です」と答えて、すんなり納得してもらえたことは一度もありません。相当有名でないかぎり「趣味で絵を描いているのかな」くらいに見られます。
一方、少し前にムサビの非常勤をしていた時期があったのですが、「大学教員」という肩書きの信用力が強くて驚きました(笑)。それが現実だとわかっているからこそ、作家の道を選ぶなら全力で頑張らなければいけないとずっと思っていました。
(酒井)作家として活動することのよさはどんなところにありますか。
(村上)全部自由ということに尽きます。会社に勤めて、決まった時間に出社して、周りと仲良くやって、というしがらみが一切ない。何時に起きても、何時まで仕事をしていてもいいし、会いたい人には会えるし、会いたくなければ会わなくていい。それが私にはすごく生きやすくて、作家をしていて本当によかったと思えることのひとつです。

質問2 どのような学生時代を過ごしていましたか?
(酒井)どのような学生時代を過ごしていましたか?
(村上)1、2年生のころは、授業の単位を取ることや、版画の技術を覚えることに必死でした。3年生あたりから進路を意識しはじめ、「自分らしい絵とはなんだろう」ということを真剣に考えるようになりました。制作に関しては、朝8時半から夜9時ごろまで学校にいるような生活をしていました。
そこまで制作に打ち込めたのは、やはり美大という環境が大きかったと思います。先生も同級生もみんな絵を描いていて、その空気のなかで「自分もなにか自分らしいものを手に入れたい」という気持ちが、焦りとともに育っていきました。作家を目指す仲間が周りに多くて、一緒に美術館に行ったり、芸術とはなにかを議論したり、切磋琢磨できたのは本当に恵まれていたと思います。
あと、教授や講師の先生によく話しかけていました。何かつくったらすぐ「見てください」と声をかけて、作品だけではなく、自分が悩んでいることも全部話していました。先生からのひと言からなにかヒントが得られるんじゃないかと思ったんです。大学を出てしまうと美術の話ができる相手がほとんどいなくなってしまうので、あの時間は本当に貴重だったと卒業してから実感しました。
(酒井)制作以外で、意識的に取り組んでいたことはありますか。
(村上)美術館に行ったときには、興味のあるなしにかかわらず必ず図録を買うようにしていました。高くて買えないときはポストカードを買ったりして、なるべく物理的に手に取れるものとして残すようにしていました。また、よく好きな作家の絵を模写していました。「もっとこうしたらおもしろいかも」といじくり回すうちに、だんだん自分の絵になっていくんです。そうやって自分探しをしていました。
それから、とにかく多く作品をつくることを大事にしていました。納得いかない出来であっても、それでも描きまくって、先生に見せてフィードバックをもらって、「ここはいいんじゃない」と言われた部分を伸ばしていく。そうやって、評価と自分のつくりたいものを少しずつ一致させていくような感覚で制作していました。当時の作品がいまでも売れることがあるので、作家を目指すなら学生時代の作品は捨てないほうがいいと思います。

(酒井)お話がすごくわかりやすいのですが、昔から言語化は得意だったのですか?
(村上)学生時代、先生に、作品をつくったらA4用紙1枚分の説明文を書いてくるよう言われていたんです。最初は「絵がよければ文章なんか必要ない」と思っていました。でも作家になってから、画廊や展示の際に自分の作品について語らなければいけない場面がとにかく多いことに気づきました。当時の教授が「作品が50%、コンセプトが50%で作品として成り立つ」と言っていたのですが、いまは本当にその通りだと思っています。
また、公募展で入選すると、審査員に自分の作品を説明する機会があるんです。そこで「この作品にはこういう気持ちを込めています」とうまく話せると、印象に残りやすく次にもつながっていくのではないでしょうか。「そういえばあの子、こういう絵を描いていたな」と思い出してもらって、次の展覧会に推薦してもらえることもあるので、言葉の力は重視しています。
後編では、卒業後の制作場所の確保から美術館での展示が決まるまでの経緯や、村上さんが10年間の活動の中で体当たりで学んできた、より具体的な話に迫ります。
<講師プロフィール>
村上早/銅版画家
1992年群馬県生まれ。2014年武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒業、2016年同大学院造形研究科修士課程美術専攻版画コース修了。幼少期のトラウマや記憶をモチーフに、物語性を絡めた150cm超の大型銅版画を制作。顔を描かない人物表現や、人間と動物を平等な存在として画面に置く独自のスタイルで知られる。主な個展に、「gone girl 村上早展」(上田市立美術館・2019)、「New Artist Picks: Wall Project 村上早|Stray child」(横浜美術館・2022)、「村上早展」(コバヤシ画廊・2016〜毎年開催)など。2015年「FACE2015損保ジャパン日本興亜美術賞展」優秀賞、「第6回山本鼎版画大賞展」大賞受賞。作品は東京国立近代美術館、町田市立国際版画美術館、平塚市美術館などに収蔵されている。
