学生が就職以外の進路を選択する際に知っておきたい予備知識を、ゲスト講師に“7つの質問”を投げかけて学ぶ課外講座「作家・フリーランス・起業家入門」。今回の講師は漫画家のかっぴーさんです。視覚伝達デザイン学科卒業後、広告代理店でアートディレクターとして勤務したあとに漫画家へと転身。Web連載の漫画『左ききのエレン』がヒットしドラマ化や広告との連動企画も多数行われています。会社員時代のお話から、漫画で数多くの広告企画などを手がけることになった経緯に加え、フリーランスになったときの気持ち、アートディレクターであったことの強みなどを伺いました。
●ゲスト講師 かっぴー(漫画家)
●聞き手 酒井博基(株式会社ディーランド代表取締役)
リアルでの反響を受け、ネットに投稿。広告代理店勤務から漫画家へ
酒井博基(以下、「酒井」)かっぴーさんが漫画家として活動されるまでの経緯についてうかがいたいのですが、最初は広告代理店にお勤めだったそうですね。
(かっぴー)2009年に武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業しました。はじめは視デの王道の就職先でもある、広告代理店にデザイナーとして就職。その後、同じ業種の別会社に転職したときに、自己紹介として漫画っぽい絵コンテを描いたのが漫画家になるきっかけでした。
軽い気持ちで描いたのですが、それが社内でウケて有名人になったんです。社員数が多い会社で、トイレで会った人にも「あ、漫画見たよ」って話しかけてもらうくらいになって、すっかり味をしめました(笑)。会社の人に「WebとかTwitter(現:X)にアップしてみたら?」と言われたので、投稿してみたんです。そしたら多くの人に見てもらえて、さらにnoteの運営元がやっていたcakesクリエイターコンテストにも入賞しました。
最初はギャグ漫画を描いていましたが、2016年に連載を始めた広告代理店が舞台の『左ききのエレン』がヒットしたんです。連載はまだ続いていますが、2019年にはドラマ化されて、今後はアニメ化も控えています。
ただ、漫画を見てもらえばわかるんですけど、僕は基礎画力が高くありません。絵コンテというか、ネームのような状態の作品を、編集者があまり介入しない状況でつくっています。下絵を描いて、ペン入れして、トーンを貼ってつくる一般的な商業漫画とは、全然違う感じですよね。だから最近は「インディーズ漫画家」と名乗ったりもしています。下手でつたない状態で連載を続けてるっていうのが僕のユニークさ。少年ジャンプのアプリである「ジャンプ+」で、僕が『左ききのエレン』の原作者になってほかの漫画家さんが漫画を描くという形態の連載もしていて、コミックスにもなりました。
(酒井)『左ききのエレン』は広告代理店が舞台ということですが、ご自身の経験をもとにしているのでしょうか。
(かっぴー)はい。ムサビ時代から広告代理店時代に出会ったすごい才能がある人たちとのエピソードなど、自分が体験したことをベースにしています。「クリエイター群像劇」といえる作品だと思っています。
ただ、僕は会社員に向いている人間じゃなかったんです。寝坊してプレゼンをすっぽかしたり、電車に乗り間違えたり、打ち合わせ中に寝ちゃったりして。今日、ここに時間通りに来られたのはマネージャーさんがいたからで、ひとりでは無理です。
(酒井)でも、漫画家としてはスケジュールを守れているんですよね。
(かっぴー)漫画の締め切りには不思議と間に合うんですよ。本当にそれは、なんなんでしょうね。
質問1 広告会社のアートディレクターを辞めることは不安じゃなかったですか?
(酒井)ひとつ目の質問ですが、広告会社のアートディレクターを辞めることに不安はありましたか? 新卒で大手の広告代理店に勤められ、向いてないと思いながらも転職されて会社員としての安定があるなかで、漫画家になるという選択はすごく勇気がいるのではと思うのですが、そこはどういう感情だったのでしょうか。
(かっぴー)結論から言うと、大きな不安はなかったです。先々を計算して生きているので大丈夫だとわかっていました。
僕は2016年のデビューで、当時SNSでバズる漫画が増えていました。いまでは普通になりましたが、バズった漫画家に企業がPR漫画を描かせるという動きの黎明期でした。PR漫画の単価は10~20万円くらい。つまり、月に2本受けたら会社員の給料と変わらないと見越していました。
というのも、僕は広告代理店ではそういったPR漫画を発注する側だったので、単価がわかっていたんです。「普通に食えるな」と思ったのが正直なところ。そしてこの“SNS漫画バブル”は、あと5年ぐらいは続くだろうと予想していました。当時30歳で、5年やっても35歳。そのとき続けられなさそうだったら、広告代理店に戻ろうと思っていました。だから、広告業界から足を洗うとか、デザインやブランディングの仕事を辞める覚悟はしていませんでした。反対に、もし大学生のときにバズっていても、将来が不安で漫画家になってなかったと思います。会社員のキャリアがあったからこそ、再就職の可能性も見えていたので漫画家に転身できました。
そういうこともあって、フリーランスになってつくった自分の会社の名前を「株式会社なつやすみ」にしました。いつか終わるかもしれないですからね。
質問2 アートディレクターをしていたことが漫画家の活動に影響していることはありますか?
(酒井)先ほど「会社員に向いていなかった」という話がありましたが、アートディレクターとして能力的に向いていないと感じることもあったのでしょうか。
(かっぴー)大前提としてそれはあります。広告代理店時代にバシバシやっていたかというと、全然そんなことはない。先輩が企画したアイデアがうまく理解できず、変なものをつくってしまうこともありました。いまでこそ一緒に仕事をするクリエイティブディレクターと対等に会話ができますが、当時は打ち合わせでもなんの話をしているのかわからなかったんです。自分で漫画を描いて、ゼロから世界観をつくるようになってからクリエイティブディレクションができるようになり、そういう人たちの話も理解できるようになりました。
(酒井)発注側の事情がわかるというのは仕事をするうえで大きいのではないかと思います。そういった経験は企業とのコラボ企画でも活かされますか?
(かっぴー)そうですね、たとえば『左ききのエレン』でコラボしたサントリーさんとの企画が印象的です。『左ききのエレン』の主人公は目黒広告社という広告代理店に勤めているので、普通のコラボレーションだと、主人公たちがなにかデザインしている画を使うと思うんですが、それはイマイチだなと思いました。そこで、漫画のなかで目黒広告社がサントリーさんの広告を手がけているという回を描いて、漫画内で製作した広告を実際にJR渋谷駅に掲出しました。主人公たちが本当の広告をつくったというのが一番アツいと思ったんですよね。広告内には、小さく「『左ききのエレン』×プレミアムモルツ」と入れるにとどめています。
我ながら、これはいいコラボだったなと思うもうひとつの理由は、この話が単行本に収録されていることです。ジャンプコミックスが存在する限り、サントリーさんの広告が漫画に入っていて、10年後でも読める。これってすごいですよね。
こういうコラボは、普通の漫画だと難しい。やれるとは思うんですけど、原作者や漫画家をあまり稼働させないコラボになることが多いんです。編集者は作者に漫画を描く以外の仕事をやらせたがらない。なぜなら漫画家は、漫画を描くことが一番儲かるからです。
僕の場合は、広告代理店の人との企画会議にも参加します。費用対効果は悪いかもしれませんが、とにかく自分がいいと思ったことを主人公たちにやらせたいなと思っているんです。
同じようなコラボで、ジンズの広告をつくるという設定の漫画を朝日新聞に広告として載せたこともありました。そうしたら、架空の広告会社である目黒広告社の主人公の名前で賞に応募してもらえて、一連の取り組みが新聞広告賞を受賞しました。そういう、現実とフィクションの境目がわからなくなるような活動はおもしろいので積極的にやっています。
最近では、物語のなかで着ている服を実際に買えるアパレルブランドも立ち上げました。単なるグッズではなく、本物のアパレルデザイナーに入ってもらって、劇中の仕様を完全再現したハイブランドの洋服としてつくっています。
質問3 漫画の業界ってどのように値づけしているんですか?
(酒井)次の質問は値づけについて。かっぴーさんはいつぐらいから意識されたんですか。
(かっぴー)フリーランスになった当初からです。まだ会社員だったときにはじめて受けたPR案件は、単価が5万円でした。まだ会社に隠れてバイトをしている感覚だったので「5万円、やった~!」と思ってたんですよ。
でも独立してから、5万円で仕事を受けちゃ駄目だと反省したんですね。だから、すごいペースで金額を上げて、3つか4つ目の仕事では、同じ内容で50万円を提示しました。そうやってどんどん上げていって、いまではPR案件は500万円からにしています。作業内容は最初の案件と変わりませんが、自分の意思と需要で価値は100倍にもなるんです。裏を返せば、ボーッとしていると100分の1の値段になってしまう危険性があることを意識してほしいです。
(酒井)価格を上げていくことには、怖さやリスクも含まれていると思うのですが、相場を知っているからこそ「これは正当な金額だ」という感覚があったのではないでしょうか。
(かっぴー)相場感がわかるのは、だいぶ優位でしたよね。でも、それは本当に最初だけで、そのおかげで生き残ったわけでないとは思います。
ただ、自分は広告代理店出身で広告制作のことを知っているので、SNS漫画にありがちな、言われるがままに漫画を描いて、最後にさらっと企業ロゴを入れるような広告が意味をなさないこともわかっていました。もし、そういった案件をやるんだったら、打ち合わせをきちんとして、どういう漫画を描いたら本当に効果があるかを証明するんです。
たとえばポテトチップスの案件だったら、漫画のなかに購入先の情報を織り込みます。たとえ買うまではいかなくても、見てみようという人を増やすことが大事なんです。ポテチに興味を持たせたうえで漫画もおもしろくできる自信があったので、「ほかの漫画家とはこういうふうに違います」という説明をきちんとしたうえで金額を上げました。広告としての機能をちゃんと持っているので、ムダなお金にならないですよという値上げですね。熱心に営業活動したわけではないですが、これまでやってきた仕事が新しい仕事を呼んでくれるようになりました。
(酒井)いまの話はすごく大事ですよね。値づけは原価計算から考えてしまうことが多いですが、本来は「この商品にはこれだけ価値があるから、この価値を買ってください」と考えるのが健全です。かっぴーさんは「私のつくるものの価値をちゃんと理解してください。私はその自信があります」ということを、きちんとプレゼンテーションしたということですね。
広告代理店から漫画家への思わぬ転身と、既存の枠に当てはまらない活動。後半では漫画家としてやれると思ったきっかけや、やりたいこと、できること、求められていることの優先順位、そして天職の見つけ方や、今後の活動についてもお聞きします。
<講師プロフィール>
かっぴー/漫画家
1985年神奈川県生まれ。株式会社なつやすみ代表。武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン学科卒。東急エージェンシーでアートディレクターを務めた後、面白法人カヤックでプランナーを務める。会社員時代に描いた漫画『フェイスブックポリス』が話題となり、2016年漫画家として独立。現在は『左ききのエレン』(note)、『柳さん ごはんですよ』(集英社)、『ブラパト!ブランドパトロール 本日も異常なし!』(秋田書店)の3作品を連載中。
https://note.com/nora_ito/