学生が就職以外の進路を選択する際に知っておきたい予備知識を、ゲスト講師に“7つの質問”を投げかけて学ぶ課外講座「作家・フリーランス・起業家入門」。後編では、漫画家のかっぴーさんが漫画『左ききのエレン』をヒットさせ、数多くの広告案件も手がけるようになったいま考えている、漫画家としての心持ちや、今後の活動についてうかがいました。
●ゲスト講師 かっぴー(漫画家)
●聞き手 酒井博基(株式会社ディーランド代表取締役)
質問4 漫画家としてやっていけそうだなと思ったのはどんなときですか?
(酒井)「これだけ売れたから」とか「ここで展示ができたから」とか、人によってやっていけると思えた基準があると思うんですが。かっぴーさんはどういうときに、漫画家として生計を立てていけそうだなと感じましたか。いまでも、どこかで“夏休みは終わるかもしれない”と思ってらっしゃいますか?
(かっぴー)さすがに「終わるかもしれない」はもう脱しましたね。いまの状態まで来たら、たとえ漫画家ができなくなったとしても、原作者はできると思うんです。少なくとも「会社員に戻らなきゃいけない」という状況にはならないはずです。
気持ちの面で最初にやっていけそうだなと思ったのは、フリーになって1年目です。プライベートで本当につらく傷つき、画材も持たずに友だちの家に転がり込んだことがありました。でも締め切り前だったので、泣きながらどうでもいいギャグ漫画を描いたんです。精神的に最悪なときに締め切りを守れたんですよ。そのときに「今日よりきついことは残りの人生で多分ない。今日、描けるんだったらずっと描けるな」と思ったんです。この8月に父が亡くなったときも、喪主だったので体があかなくて少し休みましたが、その後はあのときと同じ気持ちで描いていました。
物理的に大ケガをするとか、スケジュールがとれないとか、そういうことがない限り、漫画は描ける。たとえ精神的な理由で休んでも、もう1回描けると思ったんですよね。
ビジネスとしていけると思ったのは、「ジャンプ+」での連載が完結した2022年あたりでしょうか。それまではだいぶ様子を見ていました。
(酒井)精神的な面からは割とすぐにプロフェッショナルとして漫画に向き合えるなと感じたものの、ビジネスとしては慎重に様子を見ながらだったんですね。
(かっぴー)精神的な部分は大前提ですよね。今日講義を聴きに来てくれたみなさんも、美大に入るぐらいだから心底好きなことや領域があると思います。その点においては大丈夫だと思いますよ。
(酒井)「インディーズ漫画家」という肩書は、自分のなかでのこだわりがあるのでしょうか。
(かっぴー)全然ありません。自分から言えるようになったのは割と最近のことです。デビューしたときは、むしろ「俺は漫画家になったんだ!」と強く意識していました。それが、さっきの“SNSでちょっとバズったクリエイターと同じ値づけはしないみたい”な生意気な態度にも表れていたと思います。「俺は作家だ!」と覚悟を持ってやろうと思っていたので、わざわざ「インディーズ漫画家」とは自分で形容しなかったですね。
でも、ここ1、2年で「ネームのような漫画を9年も連載してるやつ、ほかにいないな」と思い始めたんです。だから、その点をもうちょっと褒めてもらってもいい時期だろうと。逆におもしろいから「インディーズ漫画家だ」と胸を張って言おうと思って使い始めました。
質問5 やりたいこと、できること、求められていることをどのように優先順位をつけていますか?
(酒井)次は「やりたいこと、できること、求められていることをどのように優先順位をつけていますか?」という質問です。かっぴーさんの場合は、自分が物語をつくる、まずは描き手であることを優先されているのでしょうか。
(かっぴー)僕は映画監督や、漫画の原作者、放送作家といった、ストーリーをつくる仕事に興味があって美大に入りました。でも、「まあ、できないだろうな」と思って広告代理店という第二の道を見つけたんです。
それで、学生のときから周りの友だちに「伊藤くん(本名)は学生団体をやって、営業さんみたいだね」と言われていたし、代理店の社員になってそのまま生きていくと思っていたんです。でも、実際は向いていなかった。その一方で、広告代理店への道を突っ走ってきたからこそ、本当にやりたい漫画家の道が見えたとも思います。僕の場合はやってみたらやりたいこととできることが同じだったんです。
(酒井)やりたいこと、できること、求められていることの円が重なったら、それは天職といえるのかもしれません。かっぴーさんの場合、広告代理店の会社員は向いてないと感じて、漫画家になった。けれども漫画を描いてるうちに、また広告というジャンルに重なっていったという特殊なパターンだと思います。
(かっぴー)僕はできること、向いてることを伸ばしていくしかないと思っています。僕に圧倒的にできることがあるから、みんな僕の話を聞いてくれるんですよ。今日だって、来年40歳のおじさんの話を若者が聞いてくれているわけじゃないですか。それって「その漫画知ってるな」とか「実績あるらしいから話を聞いてみよう」と思ってくれたってことですよね。僕がよくわからない、フワッとした経歴の人だったらみんな集まらないはずです。仕事もそれと同じ。代表作があるから編集者が“漫画家の先生”扱いしてくれますし、話をちゃんと聞いて受け入れてくれます。
もともといた会社のことも同僚も上司も大好きだし、厳しくされたことに対してネガティブには思っていません。でも、やっぱり実績がないうちは意見を聞いてもらいにくい。だから得意なことで結果を出して、「俺は得点を決められるぜ」というところを見せないと、仕事は回ってこないし、回ってきたとしても不利な条件で仕事をさせられがちです。たとえ実績がなくても、愛想がいいとか、「あいつは飲み会の幹事をすごい頑張ってくれた」とか、なんらかで早いうちに認められたほうが楽になります。
(酒井)かっぴーさんが漫画家として活躍していくことについて、以前勤めていた広告代理店の方たちの反応はどうですか?
(かっぴー)すごく喜んでくれていますよ。つい先日も、新卒で入った会社のトークイベントにゲストとして呼んでもらいました。たぶん、僕が成功したのがデザインや広告とは違う領域だったから、鼻につかないんだと思います。僕のことを厳しく指導していた当時の上司にも「かっぴー先生」って呼ばれましたよ(笑)。
質問6 天職を見つけるには、どうすればいいですか?
(酒井)もう次の質問に移っているような感じになっていますが、「天職を見つけるには、どうすればいいですか?」という質問に対しては、自分の突出したところを探りあてて、とにかく伸ばしていく。ちゃんと評価されるぐらいまで、そこをやり切るということでしょうか?
(かっぴー)そうですね。僕の場合は漫画家のなかでのポジショニングの話だから、天職というほど広くはないですが、インディーズ漫画家と名乗れるようになったのも、そのあたりの考えが整理できてきたからだと思います。
ずっと「いやいや、俺はただの漫画家ですよ」と言いたかったんです。「ジャンプ+」で連載している、ほかの漫画家と同じですと。でも、それはちょっと違うぞと分析できてきました。自分では言いにくいのですが、普通の漫画家ができない仕事をさせてもらえてるのは、どう考えても「インディーズ漫画家」という変わったポジショニングにいるからなんだろうと。そこに世間と自分の認識のギャップがあるなと気がついたというか、みんなが僕の価値だと思ってくれているポイントを自認した感じですね。
そのうえで、もちろん漫画家の土俵で勝負したいと思っているので、いまは『ジャンプ+』の新連載の準備をしています。それはもう普通の“THE 漫画”で、構造的な新しさはひとつもありません。でも、クリエイターとしてちょっと変わっているということは、これからも変わらず自認していきたい。この自認がきちんとできるかどうかは、けっこう重要だと思うんですよ。
要は、天職を見つけるほどいろんなことをやった人は少ない気がするんです。僕も、漫画家にあこがれていながら、原稿を完成させて出版社に持ち込みをするようなことはやっていない。映画監督もいいなと思っていたけど、美大という恵まれた環境にいたのに映画の1本も取ってない。やったことがなかったら、向いているかどうかなんてわからないですよね。
逆に、もしかしたら僕の天職は映画監督かもしれないじゃないですか。10年後くらいにお金がたくさん貯まったら、映画を撮ってみようかなと思っています。「50歳だけど、漫画家じゃなくて映画監督の方が向いてたわ!」みたいな可能性も十分ある。だって、漫画もずっと描いたことがなかったのに、いまプロとして活動できていますから。みなさんも、気になることには早いうちにチャレンジしたほうがいいと思います。
(酒井)やる前に「向いてない」と決めつけるのではなく、まずはやってみるのが大事ですね。
(かっぴー)そうですね。だって会社員も、実際にやってみたら全然向いてなかったわけです。入社前は「漫画家なんて無理、やらなくても自分で大体わかるわ。広告代理店ならなじみやすいかな」と思っていたけど、まったくそんなことはなかった。自認はそんなふうにずれるものだというのは、声を大にして言いたいですね。
(酒井)まだ、これから天職見つかるかも知れないということですね。
(かっぴー)そうです。極端に言うと、もしかしたら僕にはダンスの才能があるかもしれない。やったことないだけで。やったことないことを挙げていくと楽しいと思いますよ。
質問7 10年後、20年後のことを考えることはありますか?
(酒井)では、最後に「10年後、20年後のことを考えることはありますか?」という質問です。
(かっぴー)『左ききのエレン』は時系列が行ったり来たりする構成の作品ですが、漫画上では2040年までの物語になっています。だからいろんなことを2040年を基準に考えていて。少し前までかっこつけて「俺は2040年に漫画家をやめる」って言ってたんですよね。でも、冷静に考えてみたら2040年って55歳で、昔でいう定年の年齢なんです。早すぎる幕引きでもなんでもない、普通にちょっと早めの定年でした(笑)。
まあ、2040年までは漫画を描いているんだろうなとは思いますが、もしかしたら2026年ぐらいに映画監督デビューするかもしれませんね。それ以降もなにかしらの活動をしていると思いますが、漫画が中心ではない気がしています。やったことがないことがいっぱいあるから、漫画より向いていることがあるかもしれません。
(酒井)なにが向いているかまだわからないですもんね。
(かっぴー)そうなんですよ。僕も美大卒だからわかるんです。美大に来てる人って、自分のことをちゃんとわかってると思っている人が大半で。自分はこの学科に入ったし、この領域が得意で好きだと信じて疑わない人がほとんどだと思います。
でも、視覚伝達デザイン学科を卒業して、広告代理店のデザイナーになった僕は、「こっちじゃなかった」となりました。意外とみんなズレがある気がするので、そのズレを自認できるといいですよね。
<講師プロフィール>
かっぴー/漫画家
1985年神奈川県生まれ。株式会社なつやすみ代表。武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン学科卒。東急エージェンシーでアートディレクターを務めた後、面白法人カヤックでプランナーを務める。会社員時代に描いた漫画『フェイスブックポリス』が話題となり、2016年漫画家として独立。現在は『左ききのエレン』(note)、『柳さん ごはんですよ』(集英社)、『ブラパト!ブランドパトロール 本日も異常なし!』(秋田書店)の3作品を連載中。
https://note.com/nora_ito/