いま、美大出身者が社会に広く求められています。特徴的なのは、総合職など非クリエイター職にも多く採用され、評価されていること。近年では、大手企業でクリエイター職出身の人材が経営陣に抜擢されるケースも見られるようになってきました。
そこで今回は、シンクタンクとしてさまざまな調査・研究を行うほか、ムサビとの共同研究拠点「自律協生スタジオ」を運営している株式会社日本総合研究所(以下、日本総研)の谷崎勝教さんにインタビューを実施。なぜ社会で美大出身の人材が求められているのか?ということや、美大に進学することによって得られる力などについて語っていただきました。


――まずは、谷崎さんのこれまでのキャリアについて教えてください。

谷崎勝教さん(以下、谷崎):東京生まれ、東京育ちで東京大学法学部を卒業しました。卒業後は住友銀行(現:三井住友銀行)の行員となり、2019年に日本総研の社長を兼務。2023年から同社の社長専任となりました。いわゆる日本の産業をコントロールするような金融界で、決められたルールのなかで生きてきた人間ということになります。そういった意味では、これまでクリエイティブやアート、デザインの世界とはほとんど接点がありませんでした。

――現在、ムサビと日本総研は、市ヶ谷キャンパスの「自律協生スタジオ」を拠点に共同研究を行っています。美大、あるいは美大生と関わってみてどのような印象を持たれましたか。

谷崎:そうですね。美大生は創造力、つまりいままでにないものをクリエイトしようとする力が、自分たちとは違うなと実感しています。一人ひとりが内面に持っているエネルギーを、いかにして形にしていくか。こういったイメージを持っている先生や学生が多い印象です。

――ムサビとの連携で手ごたえは感じているでしょうか。

谷崎:これまで我々はシンクタンクとして、世の中はこうあるべきではないかと提言したり、政府の有識者会合に参加して意見を述べたり、それをレポートにまとめて発表したりしてきました。でも、そうした難しいアウトプットだけでは「失われた30年」と言われたいまの日本はよい方向に変わりませんでした。そこでいまは、ムサビの職員や学生の力を借りることで、人の気持ちを動かし、次の行動を促すことができる成果物が徐々にできつつあると感じていますね。

2022年に開設された「自律協生スタジオ」では、産官学共同プロジェクトなどを通して「自律協生社会の実現」に向けた共同研究を行っている。写真は熊本県天草市でのフィールドワークを記録したもの

――近年、企業や行政は美大を卒業したクリエイティブ人材に注目していると聞きますが、谷崎さんご自身はどう感じていらっしゃいますか。

谷崎:今後、美大出身者はもっと注目を集めるのではないでしょうか。さらにIT化が進めば、AIが人間の仕事の一部を代行するようになります。そんなAIでも最後までできないのが“いままでにない、新しいものを生み出すこと”です。AIは既存のものを組み合わせてなにかをつくるのは得意ですが、どうしても過去の模倣になってしまいます。

また、“新たに問いを見つけ出す”というのもAIが苦手な領域のひとつです。新たな問いから企業や社会の課題を解決する糸口を見つけることができます。美大以外の伝統的な大学の学部などでは、すでに存在している課題などから限られた範疇で最適な答えを導き出すことが多いと思います。一方でアートの世界は「自分たちはなにをつくったらいいのか」という問いを見いだすところからスタートしますよね。つまり美大生は自然と問いを見いだすトレーニングができているということです。

――ビジネスシーンでクリエイティブ人材が活躍する可能性について、どのようにお考えでしょうか。

谷崎:活躍するシーンは増えてくると思います。これまで企業は、過去からの延長線上で未来予測をしてきたのですが、これからは5年後、10年後を見据えたうえで、社会がどう変わっているか、消費者がどう変わっているか、個人に対するサービスがどう変わっているかという視点でデザインする能力が必要となります。いままでの発想の仕方では、未来をデザインすることはなかなかできませんでしたからね。

――なるほど。そういうニーズが今後高まっていくということですね。

谷崎:はい。ただ、ニーズが高いものの、美大出身者が企業にいるかというと、まだ少ないと思います。だからこそ、これまでとまったく異なる新しい視点で物事を考え、提案・企画できるクリエイティブ人材が求められていくのではないでしょうか。

――市ヶ谷キャンパスにある大学院(クリエイティブリーダーシップコース)には、社会人の学生もたくさんいます。これまでビジネスパーソンはMBA(経営学修士)を取得するために大学院に通うのがトレンドでしたが、リスキリングのあり方も変わってきているのでしょうか。

谷崎:おっしゃる通りだと思います。MBAは成功する企業の過去の振る舞い、会社の成功パターンを研究するもの。それがいまの世の中では限界を迎えてしまっていると、いろんな人が気づいているのだと思いますね。だからこそ、海外のデザインスクールなどでは、社会をデザインする取り組みが多くなっています。行政府や官公庁の人たちが、このような取り組みを学びに留学するケースもあるようですね。

美大に行って美術の世界でトップクリエイターを目指すことも、もちろんいいことです。ただ、美大で培われるセンスや視野の広がりはビジネスでも大きな力になるということを知っていただきたいですね。

たとえば、私が銀行員時代の話ですが、イノベーション担当の役員になったとき、既存のサービスを改善するだけでなく、既存のものを捨てて、真っ白いキャンバスに新しい計画をつくってほしいとお願いしたんです。でも、これまでトレーニングしていない人にとっては、かなり難しかったようです。

――そこで美大出身者が活躍できる、ということでしょうか。

谷崎:そうです。「こんなサービスがいい」ということをゼロベースで考える、あるいは、いままでの常識を疑ってみることができるセンスは、美大で学ぶからこそ身につくスキルだと思います。そういった創造・創出するスキルは、これからのビジネスシーンで間違いなく求められるものに違いありません。

――これまで、仕事を通してそのことを実感したことはありますか。

谷崎:三井住友銀行でスマートフォンのアプリを刷新したとき、それを実感しましたね。そこで活躍してくれたのがクリエイターの方たちでした。彼らは画面の見やすさや、ユーザーの心に訴えるようなものづくりの考え方など、私たち銀行員とはまったく違う発想でアイデアを次々と提案してくれましたね。やはり、そういうトレーニングをしていないとできないな、と。

――アート作品をつくる作家になりたい、デザイナーになりたいから美大に行くだけでなく、「いままでにないビジネスをつくりたいから美大に行きたい」と進学先に選ぶ人も増えそうですね。

谷崎:たしかにそうですね。しかも、美大出身の方は絶対数が少ないですから、希少価値が高いですよ。需要と供給のバランスで考えれば、圧倒的に供給側が少ない気がしますからね。

一方で、受け入れる側の企業や行政も、そういう人たちが活躍できる場を十分につくるべきです。美大出身者という人材と、雇用側の体制の両輪がうまく備わっていなければいけないと思います。また「自分はこういう会社をつくりたい!」と、美大で鍛えたセンスを武器にベンチャー企業を立ち上げる方も今後もっと出てくるかもしれません。そういった自分で道を切り拓いていく力が美大生にはあるように感じています。

――これまでの、いわゆるイノベーション人材と美大で学んだ人材とで、今後求められるものはどんな能力でしょう。

谷崎:現段階でイノベーション人材を採用しようとしたとき、どんな人を採ろうかと話をすると「テクノロジーがわかる人」「プログラムが書ける人」が挙がります。ただ、彼らはパターンにもとづく処理能力には長けていますが、未来をデザインするためにいままでに誰もやったことがないことにチャレンジする能力は、やはり美大で学んだ学生に軍配が上がると思いますね。

イノベーションには、粘り強くやり遂げるような力を持ってつくりあげる能力が欠かせません。高度なプログラムが書ける人もいたほうがいいのは間違いないですが、それ“だけ”ではイノベーションを起こすことは難しいでしょう。レジリエンス力、すなわち「逆境や困難をしなやかに乗り越え、回復する力」に裏打ちされた、チャレンジする能力が必要だと思います。

――なるほど。

谷崎:美大にいると「つくりたいものがつくれない」「自分よりもすごいものをつくる人が身近にいる」「自分には才能がないのでは?」など、心が折れそうになる瞬間に何回も出会うと思います。「それでもつくりたい」と思って大学で学び、卒業していくには、やはり大きなパワーが必要ですよね。企業はそんなレジリエンス力のある人がのどから手が出るほどほしいと思います。

当然、仕事をしていると新しいことに挑戦すれば、失敗することもある。新しいサービスをスタートすれば、どこかに問題があってプロジェクトが止まってしまうこともあります。レジリエンス力を学生のうちに身につけるのはなかなか難しいものですが、ムサビの学生さんからは、そういうときでもくじけることなく、立ち上がってもう一度つくり直そう、修正しようという“個の力“を感じます。

――最後に美大を志望している学生にアドバイスをお願いします。

谷崎:美大は、高校時代に美術が優秀だった学生しか進学できないんじゃないか、というイメージがあるかと思います。ただ先日、ムサビの長澤忠徳理事長にお話を伺ったら「高校時代の美術の実績はいらない」とおっしゃっていました。それに、自分は個性が強いなと思う方は、ぜひ美大に入って、個性を存分に発揮してほしい。そういう人が出てこないと社会は変わりませんからね。