いま、美大出身者が社会に広く求められています。特徴的なのは、総合職など非クリエイター職にも多く採用され、評価されていること。近年では、大手企業でクリエイター職出身の人材が経営陣に抜擢されるケースも見られるようになってきました。
今回インタビューしたのは、長く日米の金融機関でキャリアを重ねたあと、現在は東京藝術大学 大学美術館 客員教授や東京国立博物館 参与、武蔵野美術大学 法人評議員として、ビジネスとアートの橋渡しをしている木越 純さん。還暦を迎えた2019年、武蔵野美術大学大学院造形構想専攻クリエイティブリーダーシップコース(CL)に進学するという異色の経歴を持ちます。美大で学ぶデザイン思考やアート思考などが、ビジネスの現場で必要とされる理由や背景、今後必要とされていく人材について語っていただきました。
60歳で美大生に。金融とアートの2本立てで得たこと
――木越さんのこれまでのキャリアについて教えてください。
木越 純さん(以下、木越):国際基督教大学でリベラルアーツを学んだあと、世界で挑戦できることに惹かれて東京銀行(現・三菱UFJ銀行)へ就職しました。当時は外国為替専門銀行として国内よりも海外に支店を多く持ち、4,000人の行員のうちおよそ半数が国外に駐在するような銀行でした。30歳前後にロンドン・ビジネス・スクールへ留学させてもらい、その後家族と一緒に7年間ロンドン駐在を経験しました。イギリス滞在中に出会ったのが、いまにつながる鉄道趣味とアートです。
48歳で三菱UFJ銀行を退職し、外資系金融機関に転職しました。JPモルガン(アメリカに本社を置く総合金融グループ)へと転職した直後にリーマンショック(世界金融危機)が起こり、あわてましたがなんとか乗り切り、7年後にバンク・オブ・アメリカ(同じくアメリカに本社を置く総合金融グループ)へ移りました。
還暦を迎える2019年、これまでとまったく違うことしようと思い、新設されたばかりのムサビのCLに1期生として入学しました。銀行での副会長職を続けながらでしたので、バンカーと美大生の二足の草鞋を履くこととなりました。
――大きなチャレンジをされたのですね。
木越:ええ。同期のクラスメイトはみなさんお若く、入学式のときには係の方に保護者席に誘導されました(笑)。
もともと鉄道が好きで、仕事の合間を見て世界の鉄道に乗りに出かけていました。そこでCLでは、トラム(路面電車)による都市の再生を研究テーマに取り組もうと思っていました。
しかし指導教員から、「せっかくムサビまで来たのに、結局自分のコンフォートゾーンにいるのではないか」と指摘されました。「もっとチャレンジして、心ひかれているものの、いままでできなかったことをやったほうがいい」と。それで行きついたのが、勤務先で業務の傍ら関わってきたアート・プロジェクトでした。
バンク・オブ・アメリカでは、世界中のアートの修復事業を助成しており、その助成事業の日本での旗振り役を買って出ていました。振り返ってみると、JPモルガンでは、会社の所蔵品から気に入ったアート作品を選んで自分のオフィスに飾っていました。こうした取り組みがなぜ行われるのかを調べることが、修士論文のテーマになっていきました。

――金融機関とアートに関連性があったんですね。
木越:調べていくと、JPモルガンでオフィスにアートを飾るのは、前身であるチェース・マンハッタン銀行からの伝統ということでした。営業担当も、そういうアートのある空間に顧客を案内して、アート作品を会話の切り口にしていたのです。またバンク・オブ・アメリカもJPモルガンも、アート作品をたくさん収集し、それを美術館に貸出や寄贈をし、社会に貢献してきました。
お札も絵画も、モノとしての原価は非常に安いものです。しかし、それに意味を持たせ、みんなが納得して価値あるものとして流通していく。極論を言えば、そういう意味で金融とアートには共通点があると言えます。
――印象に残っているムサビの授業はありますか?
木越:造形実技の授業でしょうか。アートの技術を身につけるカリキュラムではなく、アーティストが日々格闘しているこれまでにない独自の作品を生み出そうという試みを体験する場だったと思います。

また、クラスで世代やバックグラウンドの異なる人たちが、同じ課題に取り組むのもおもしろかったです。グループワークのときに、デザイン出身の子はすぐに手が動くし、フットワークの軽い子は気がつくと外に飛び出している。さらに、22歳の新卒学生と60歳のビジネスパーソンがフラットに意見を言い合い、一緒に課題に取り組むわけです。このようなことは、ふつう銀行では起こりません。
――金融業界は年功序列の世界ですよね。
木越:金融業界はそもそもピラミッド型組織ですし、前例とルールにのっとったビジネスモデルでは、年長者や経験者のほうが正しい判断を下すことができるでしょう。しかし、これからはきっとそうではなくなる。コロナ禍では、前例がない事態に右往左往しました。世界情勢が様変わりし、金融の世界でもこれまで当たり前だったことが当たり前でなくなっています。
ますます不確実性の高まる時代では、経験や知識の多寡に関係なく、現場に飛び出し、「これからなにが起こるのか」「なにが課題なのか」「どんな解決策があるのか」と、問いを立て続ける感性とスタミナが問われると思います。
美大で教育しているデザイン思考やアート思考、つまり、問いを立てて本質を捉え、それを現場思考で解決していく方法は、ビジネスの現場で役立つと思います。

フラットな思考で風通しのよい組織ができる
――銀行内で前例のない取り組みをされたと伺いました。
木越:いままで勤めてきた銀行は、いずれも世界中に拠点を広げ何万人もの従業員が働く巨大な組織でした。部門ごとに指揮命令系統が分かれているので、日本の拠点のなかだけでも隣の部署のことが見えていないことがあります。フロント・ミドル・バックと関連する部署がお互いに緊密に連携してこそ、お客様に信頼していただけるサービスを提供できるのですが、ギャップがトラブルにつながることが折々ありました。
ムサビの修士課程を終えたあとに、私は東京支店の支店長を引き受けました。日本における銀行業務全般に責任を負う役目です。そこで支店経営に“ムサビ方式”を取り入れてみました。たとえば、いろいろな部署を訪ね歩いて現場のスタッフと語り合い、異なる部署からメンバーを誘ってランチ会やイベントを企画。ほかにも、社員全員に向けたタウンホールにアーティストを招いて、メッセージをイラストにして共有したり、気に入ったアート作品をオフィスに持ち込み、訪ねてくる同僚相手に仕事の合間に作品の感想を聞いたりしていました。いろいろなアイデアを、仲間を誘って試してみるのが楽しかったです。部署や職階を超えて、お互いの顔が見えインフォーマルなネットワークが広がることで、なにかあれば声をかけ合って助け合う頼もしいチームになっていきました。
――“ムサビ方式”のようなアート思考やデザイン思考を持った人が、今後ますますビジネスの現場で必要とされていくのでしょうか。
木越:これまでの美大生の就職先といえば、デザイン部でパッケージやプロダクトデザイン、広告などをつくるのが王道でした。それが最近では総合職などのいわば非クリエイティブ職で活躍したり、経営陣にも登用されるようになっています。しかし本当に必要なことは、経営者自身がアート思考やデザイン思考を身につけ、クリエイティブ人材になることではないでしょうか。
たとえばコロナ禍で社員が出社できなくなる前代未聞の事態に直面し、新しい働き方の設計をしなくてはならないとなったときに、企画部や人事部に「どうする?」と投げてもなかなか進まない。決断が必要なときに、「では、これでやってみよう」と言えるのは経営者だけなのです。
経営トップがコミットすれば、その施策は組織中に広がります。また、1年やってうまくいかないからやめようという話にはならず、成果が出るまで頑張れるわけです。ですから経営者が自分の手を動かすことをいとわず、クリエイティブ人材として動ける企業では、ものすごいスピード感が出ると思います。

クリエイティブな思考が自分の能力を発揮する
――美大受験を考えている高校生は、卒業後のことを悩むことが多いようです。どうしたらいいと思われますか。
木越:いわゆるクリエイティブ職に限らず、どこへでも挑戦したらよいと思います。金融だってありです。どの職業でも、最初に身につけなければならない知識やスキルがありますが、その修行の先の自分なりの持ち味を出してゆくという段階になると、美大で学んだことが、がぜん活きてくると思います。
新卒採用の事例ではないですが、最近日本の金融シーンでも美大出身のデザイナーがイノベーションを起こしています。SMBCのOliveという金融サービスがあるのですが、そのアプリのインターフェイスが利用者目線ですごく使いやすい。中途採用でムサビ出身者を含むデザイナーを中心とするチームを作ったことで、これまでにない使いやすいアプリができ、若者を中心に人気となっています。
――クリエイティブ人材が活躍できるフィールドが広がっているんですね。
木越:そう思います。少なくとも「美大へ行ったら就職が難しい」という時代ではありません。これからの世の中は、ますますいままでの常識が通用しなくなっていくでしょう。クリエイティブイノベーション的なものを学んで、どんなところでもチャレンジしてみたらよいと思います。
経済産業省は2018年に「『デザイン経営』宣言」をしました。翌年にはムサビがクリエイティブイノベーション学科とCLの開設、いまではデザイン思考やアート思考を扱うビジネス書が本屋の店頭に並ぶようになりました。アート思考やデザイン思考に関心を持っているビジネス・エグゼクティブ(CEOや取締役、執行役員などの上級管理職)は着実に増えています。
身内の話で恐縮ですが、私の次女は美大に進学しました。あのころはいま以上に美大に進んで「食べていけるのか?」という風潮があり、美大進学を断念したお友達もいたように聞いています。彼女は卒業後デザインの仕事につき、その後ビジネスの世界に転じています。デザイナーだからこそ気づいたニーズに、自分だからできるチャンスを見つけたようです。アーティストになる夢を追いかけることも、クリエイティブ人材になってビジネスで活躍することもできるのが、美大生だと思います。
――親御さんの立場としては、やはり「食べていけるの?」という心配はありますよね。
木越:気持ちはよくわかりますが、本人の志望を応援してあげられたらよいなと思います。そもそも美大に限らず、「この勉強をして、こういう企業に入ると一生安泰だ」というセオリーはもう通用しません。私が就活した40数年前は、大手都銀に入りずっとその銀行で勤め上げ、引退後は悠々自適という人生設計が信じられていましたが、結局そうはなりませんでした。メーカーやサービス業でも、これまで当たり前だったビジネスモデルが通用しなくなり、一方でAIなどが出てきていままでにないビジネスチャンスが生まれています。
そういう時代にデザイン思考やアート思考が身についていれば、どこにいても、「次はこうじゃないか」「これだったら自分の力を発揮できるのではないか」と考えていけるでしょう。なにをやったら、自分にとっても、家族にとっても、社会にとってもいいのかというものを見つけられるようになっていく。これは企業の経営者と同じです。「私は美大を出ました」と自己規定するのではなく、「私はこういうことを身につけてきました。そのなかでこういうことを生み出し、手応えを感じてきました」ということをアピールできるようになれば、進路の選択肢は自然と広がっていくはずです。
