いま、美大出身者が社会に広く求められています。特徴的なのは、総合職など非クリエイター職にも多く採用され、評価されていること。近年では、大手企業でクリエイター職出身の人材が経営陣に抜擢されるケースも見られるようになってきました。
今回は、ムサビの「価値創造人材育成プログラム(通称:VCP)」の一環である「VCP SCHOOL」を受講し、その経験を生かして勤務先である住友商事に「VCP FOR BIZ」を導入した市村和哉さんにインタビューを実施。大手商社における美術大学ならではの考え方の導入事例や、ビジネスの現場でクリエイティブ思考が求められる理由、そして美大生が持つ可能性について語っていただきました。
――市村さんは、ムサビが造形教育で得た知見を活かした「創造的思考力」を獲得し、社会への実践方法を学ぶためのプログラム「VCP SCHOOL」を1期生として受講されたそうですね。受講した経緯について教えてください。
市村和哉さん(以下、市村):きっかけは2022年度に社内で実施した、ムサビの岩嵜博論先生による「兆し探索ワークショップ」です。「単に未来を予測するのではなく、自分たちで未来をつくり出す」という未来志向に対するアプローチについて学ぶものでした。このワークショップの際にVCP SCHOOLの1期生を募集していることを聞き、参加を決めたという流れです。
――美術大学に対するイメージは、「兆し探索ワークショップ」に参加する前と後で変わりましたか?
市村:当時は美大というと、油絵や彫刻を制作する場というイメージを持っていました。しかし、ワークショップを通して、デザインというものはモノの見た目をつくる狭義の“デザイン”だけではなく、広く“設計”も意味することを学びました。そうして、美大に大きな魅力を感じるようになったんです。
――VCP SCHOOLを受講されて、どのような気づきがありましたか?
市村:まず、右肩上がりの経済成長を前提としない時代に入ったという認識が深まりました。だからこそ、ロジカル思考だけでなく、デザイン思考やアート思考が重要だということを実感できたんです。特に、新しい事業をつくる力が弱まっている現状に対し、VCP SCHOOLで学んだメソッドが非常に有効だと感じましたね。
たとえば、かぎられたアイデアマンだけでなく、誰もが新しいアイデアを創出できるメソッドがあることを学びました。また、プロトタイピングや講評(フィードバック)のプロセスの重要性も理解できたように思います。
――その経験をふまえて、住友商事にVCP FOR BIZを導入されたそうですね。
市村:はい、VCP FOR BIZはVCP SCHOOLの内容をベースとしたオーダーメイド型の研修プログラムで、2023年に導入しました。最後の発表会では、21名の受講生のほかに組織のトップも参加し、ムサビの先生方にも講評いただきました。参加者からはとても好評で、トップからも「来年度も、もう一度開催してみてはどうか」と言われたほどです。
――そもそもなぜ、社内に創造的思考力が必要だと感じたのでしょうか?
市村:私たちの業界では、特に新しい事業をつくる力が弱まっていると感じています。新事業はつくり続けているものの、ここ30年ほどは後世に残るようなものを生み出せていないのが現状です。かつては海外のビジネスモデルを日本に輸入することで新規事業としていましたが、いまはそれが通用しません。
世界がグローバル化し、情報が瞬時に広がる時代では、本当の意味での新規性が求められています。そのためには、ロジカル思考だけでなく、創造的思考力やクリエイティブ思考が不可欠だと感じました。
――具体的にどのような研修内容だったのでしょうか?
市村:たとえば、ムサビの鷹の台キャンパスで行ったワークショップでは、「間(ま・あいだ)」をテーマにした課題が出されました。ここでいう「間」とは、物理的な距離としての「間」でもいいし、人間の心の「間」でもいいし、時間でもいいし、要はなんでもいいわけです。
このワークを通じて、ひとつのテーマに対して多様な解釈や表現が可能であること、そして自分の固定観念を疑うことの重要性を学びました。最終的なアウトプットの形は問わないという点も印象的でしたね。絵画でも、造形物でも、人に体験してもらう形でもよいのです。この自由度の高さが、創造性を引き出す鍵になっていると感じました。
実際、ワークショップに参加した誰もが衝撃を受けていました。20〜40代のビジネスパーソンが、与えられたテーマに対して自由に解釈し、形にする。そんな経験は、普段の仕事では得られないものだからです。
また、参加者からは「疲れたけど楽しかった」という感想が多く聞かれましたが、これはとても大きな気づきだと思っています。この経験を通じて、参加者たちはクリエイティブ思考の価値について、身をもって感じることができたのではないでしょうか。
――プログラムを通じて、参加者にどのような変化が見られましたか?
市村:最も大きな変化は「違和感」に対する態度です。ビジネスの世界では、違和感を抱いたとしてもそれを感じさせないように振る舞うことが「大人」とされてきました。しかし、これからのビジネス創造においては、その違和感をいかに持てるかが重要です。参加者からは、他者の発言や会議資料に書かれている言葉一つひとつに対して一旦立ち止まって考える習慣がつき、「本当にこれでいいのか」「ニュアンスがずれていないか」などと吟味するようになったと聞いています。
――プログラムのなかで最も印象的なことはなんでしたか?
市村:最も重要なのは「講評」を受ける経験ができたことだと思います。講評は、自分の作品を他者に見せ、評価を受けること。同一の作品であっても、講評する人によってまったく別の意見になることもあります。美大生は日々、課題として作品をつくり、講評を受けることを繰り返しています。この過程で、ものごとを多面的に見る力が養われるのです。
ビジネスの世界でも、このプロセスを取り入れることが効果的です。たとえば新規事業の提案時に、さまざまな視点からの評価を受けることで改善していくことができる。また、顧客のニーズを多角的に捉える力にもつながると思います。
――クリエイティブ人材の採用については、どのようにお考えですか?
市村:正直なところ、住友商事においては、現時点では時期尚早だと考えています。クリエイティブ人材を生かすには、組織の理解と適切な環境が必要です。現在の我々の組織では、クリエイティブな発想を十分に生かせる体制がまだ整っていません。
なかにはデザイナー職を中途採用している部署もありますが、彼らが任されているのは狭義のデザイン業務にとどまっていて、広義の「設計」としての仕事ができていないのが現状です。
市村:この状況を変えていくには段階的なアプローチが必要だと考えています。まずは、VCP FOR BIZのようなプログラムを通じて社内の理解を深め、小規模なプロジェクトからスタートして、クリエイティブ思考の価値を示していきたいと思っています。
理想的には、全社横断的なデザイン部門を設置し、各事業部門と協働できる体制をつくることですが、これには相当な時間がかかると思います。他社の例を見ても、5〜10年程度の時間軸で考える必要があるのではないでしょうか。
――より長期的かつ俯瞰的な視点で見たとき、社会全体にどのような変化が必要だと考えていますか?
市村:根本的な変革をするには、教育から見直していく必要があるのではないでしょうか。美大的思考、つまり自由な発想と多角的な視点を養う教育を、初等教育から導入することが求められると思います。
また、社会全体でデザインに対する認識を変えなければなりません。日本では「デザイン」というと、表面的な装飾や「かっこよさ」のイメージが強いですよね。本来のデザインは「設計」であり、ビジネスそのものがデザインの塊なのです。この認識を広めていくことで、クリエイティブ思考とビジネスの融合がスムーズになると考えています。
――最後に、美大生や美大を目指す人に向けてメッセージをお願いします。
市村:みなさんは、ビジネスの世界を変革する可能性をすでに秘めているのではないかと思います。美大で培われる創造性、柔軟な思考力、そして物事を多角的に見る力は、これからのビジネス社会で最も求められる能力のひとつです。
私がVCP SCHOOLやVCP FOR BIZを通じて実感したのは、美大生の持つ「当たり前を疑う力」、そして新しい視点でものごとを捉える能力の高さです。この力は、ビジネスにおいて新しい価値を生み出す源泉となります。
また、美大での講評の経験は、ビジネスの世界でも非常に重要です。自分の作品や考えを他者に示し、フィードバックを受け入れる過程は、新規事業の立ち上げやプロジェクトの推進と非常に似ています。この経験は、みなさんがビジネスの世界に入った際、大きな武器となるはずです。
私たちのような比較的歴史の長い企業も、いま、大きな変革を求められています。その変革を導くのは、まさにみなさんのようなクリエイティブな人材なのかもしれません。ぜひ美大で学んだことを生かし、ビジネスの世界に新しい風を吹き込んでください。