ムサビを卒業したあと、海外の教育機関に留学した人へのインタビュー。留学を決めた理由や情報収集の仕方、苦労したことなどを語ってもらいました。入学までの準備や現地での学びや暮らしについて聞くと、日本とは異なる独特の文化も。イメージしづらいことも多い海外留学の実情に迫ります。

<卒業生データ>
星原達希
2022年 大学院 修士課程 建築コース修了
留学先:
①南カリフォルニア建築大学 大学院 修士課程 Synthetic Landscape
②テキサス工科大学 建築学科


――アメリカ留学を希望した理由を教えてください。

星原達希さん(以下、星原):留学は学部生のころから考えていました。建築学科を卒業後にムサビの大学院の建築コースに進み、尊敬している土屋公雄先生のもとで公共彫刻やインスタレーション、ランドスケープアートを学んだのですが、やはり海外でもっと学びたいという思いがあふれ、留学を決意しました。

――アメリカでの留学先は、旅行で大学の見学に行ったときに、教員の方と話す機会があり、その縁で決まったとうかがいました。

星原:そうですね。最初はアメリカの中で歴史のあるサンフランシスコの大学が第1志望でしたが、日本から連絡をしても返事が返ってこなくて……。しょうがないので、その大学にアポなしでポートフォリオを持って行ってみたんです。すると「この学校は閉校になるんだよ」と言われたんですよね。

――なるほど、それからどうされたのでしょう?

星原:実は、ロサンゼルスの建築の大学に興味のあるムサビの後輩から「南カリフォルニア建築大学(通称「SCI-Arc」)に寄って雰囲気を見てきてください」と頼まれていたので、同じようにアポなしでポートフォリオを手に見学に行きました。そこで校内を案内してくれたのが、たまたま興味があったプログラムの担当教授だったんです。そこで、その教授と連絡先を交換しました。

――そこで南カリフォルニア建築大学との縁が生まれたんですね。

星原:はい、運がよかったと思います。そこでポートフォリオを見てもらい、気に入ってもらえました。

――ポートフォリオのどういったところが評価されたと思いますか?

星原:僕はとにかく作品をすごくつくるタイプなんです。ひとつの作品をつくっているときに、もう「次はどんなものをつくろう」と考えてしまうくらい。だから、1日にひとつ作品をつくることを1カ月続ける「1日制作」という個人プロジェクトもやっていました。それを見せたら「君はパソコンのプログラミングのように動く人間なんだね」と、興味を持ってくれたみたいです。

《一日一制作一ヶ月 – 不連続なイメージのトレーニング》2020年 撮影:佐々木 慧©佐々木 慧

――2022年9月から翌年8月まで南カリフォルニア建築大学に留学した後、9月から12月までテキサス工科大学にも留学されていますね。なぜ、テキサス工科大に行かれたのでしょう。

星原:ムサビの大学院から引き続き、南カリフォルニア建築大学でもランドスケープアートを学ぼうと考えていたのですが、思ったよりもデジタルだったんです。なので、もう少しフィジカルで学ぶことができるテキサス工科大に行きたいと考えたのが一番の理由ですね。

テキサス工科大には1学期だけ在籍し、「ランドアートウエスト」というプログラムを履修しました。内容はかなり変わっていて、2カ月間、10人の学生だけで車で9000kmを移動しながら、アメリカの歴史を学んだり、実際にランドスケープアートを見に行くというもの。特別な許可がないと入れない米軍基地やメキシコの国境近くまで行って、現地の人にインタビューをしたり、学生同士で討論したりもしました。

ランドアートウエストでアリゾナ州のグランドキャニオンへ。「日没を逆さまになって眺めました」と星原さん

――かなりインパクトのある体験ですね。

星原:はい。移動中は作品もつくるのですが、おもしろいのは、プログラム参加者は僕のようにアート作品をつくる人だけではないんです。小説家や作詞家、音楽家などいろいろなジャンルの人がいて、それぞれの専門分野で作品をつくります。この2カ月間は軍隊の訓練のようにお風呂は2週間に一度しか入れないし、節水のために水はできるだけ使わない。肉を食べると身体が臭くなるので食事は野菜のみ。みんな髪もヒゲもボーボーでした。そんな生活にも徐々に慣れていくものですが、24時間プライベートがなく、ずっとテント生活だったので本当に大変でしたね。

ランドアートウエストで訪れたユタ州Muley Pointで、夕食にカレーをいただいたときのひとコマ

――2024年2月からはニューヨーク州にあるUAPという会社に就職されたそうですね。

星原:そうです。UAPは「アーバンアートプロジェクト」の略で、世界でも有数の彫刻の設計・制作を請け負う会社です。依頼主は、有名な彫刻作家や自治体、美術館、ギャラリーなど。基本的には依頼が来ればなんでもやるのですが、僕は主に野外彫刻・公共彫刻を担当しています。

――入社するまでの経緯を教えてください。

星原:当時、就職活動をしなければいけない時期だったのですが、そのとき、僕はテキサスで作品制作のために4m×2m×20mぐらいの穴をスコップだけで掘っていたんです。日中は、もうずっと掘り進め、体重は5kgほど減って、手は血まめだらけ。でも、このまま就職しなければビザの関係でアメリカに滞在することができないので、1週間だけ就活を頑張ろうと。穴掘りが終わったあとに20社ほどエントリーしたんです。

――そのなかのひとつがUAPだった、と。

星原:はい。UAPの面接はZoomで行われたのですが「本当にフィジカルが大変な仕事だけど大丈夫?」と言われたので、穴掘りでできた血まめだらけの手を見せたんです。すると「君、すごいフィジカルだね」って(笑)。無事に最終面接に進んで、内定をもらいました。

――留学の準備期間や留学中に苦労したことはありますか?

星原:ひとつは英語でしょうか。僕は日本生まれなのですが、小学生のときから10年ほど中国で暮らし、インターナショナルスクールに通っていたので、日常会話は問題ありませんでした。ただ、大学院となると深いディスカッションをする必要があるので、レベルが全然違う。そこは大変でしたね。

――英語の勉強はどのようにされたのでしょう。

星原:日本にいるときから周りの環境を全部英語に変えました。たとえば、携帯は英語表記にして、日々のニュースは英語で読むようにしましたね。あとは、「いま〇〇していて、夜の〇時に〇〇をする」など、1日の予定や感じたことを自分に英語で語りかける、ということもやっていました。

――ほかにも苦労したことはありますか?

星原:留学中は、物価高もあってとにかくお金がなかったですね。それから、やはり食べ物です。アメリカの食事やビールの味は合わなくて、いまも日本のビールが恋しいです。

友人と一緒に訪れたカリフォルニアの野外芸術祭「デザートX」

――これから留学を考えている後輩にアドバイスをお願いします。

星原:ひとつでも得意なことがあったほうがいいと思います。僕の場合、日本語・英語・中国語の3言語話せたおかげでたくさんの友人ができました。美術大工のアルバイトをやっていたので、施工やモノづくりも自信があります。

それから、スキルとは違いますが、特に自信があると言えるものがないという人でも、「自分は車を持っている」くらいでも重宝がられます。周囲には車を持っている人が少なかったので、遊びに行くときは僕が車を出していたのですが、みんなタクシー代として食事をおごってくれるんです。アメリカは物価が高くて夕食で5000円くらいかかってしまうこともざらにあるので、ずいぶん助かりました。

――最後に、今後の目標ややってみたいことを教えてください。

星原:美術館で個展を開いたり、仕事ではモニュメント制作の依頼を受けたりしたいですね。また、これまで行ったことのない土地で作品をつくって、いつかはムサビでお世話になった土屋先生がおどろく作品を作りたいです。