ムサビを卒業したあと、海外の教育機関に留学した人へのインタビュー。留学を決めた理由や情報収集の仕方、苦労したことなどを語ってもらいました。入学までの準備や現地での学びや暮らしについて聞くと、日本とは異なる独特の文化も。イメージしづらいことも多い海外留学の実情に迫ります。

<卒業生データ>
森本大樹
2021年 デザイン情報学科卒
留学先:
ミラノ工科大学 大学院 修士課程 プロダクトサービスシステムデザイン学科


――森本さんは学部3年生のときにミラノ工科大学 プロダクトサービスシステムデザイン学科の修士課程に交換留学をし、帰国。学部を卒業したあと、あらためて同大学の同じ学科・課程に留学したと聞きました。まずは、学部3年生のときに交換留学をしたきっかけを教えてください。

森本大樹さん(以下、森本):もともと留学に興味はなかったのですが、あるとき友達から、ムサビに交換留学生として通っている外国人の方とのランチ交流会に誘われたんです。軽い気持ちで参加したところ、そこではじめて交換留学のことを知り、僕も留学してみたいと考えるようになりました。高校生のときにアメリカに1年留学していて英語は得意でしたし、海外で暮らすことにも抵抗がなかったんです。

――現地での学生生活はいかがでしたか?

森本:学部生ながら留学先が大学院だったということもあり、土日も学校があったので、自宅と学校を往復する毎日でかなりハードでした。ヨーロッパに留学した人から、いろんな観光地に遊びに出かけたという話もよく聞いていたのですが、僕はほとんどどこにも行けませんでしたね。

――ミラノ工科大学の授業はどのように進められるのですか?

森本:基本的にグループワークで、たとえば与えられたテーマについてリサーチし、サービスやプロダクトをデザインするような授業がありました。特徴的なのは、理論の組み立てがかなりのウエイトを占めていて、リサーチにすごく時間をかけることです。

なかには、課題を見つけてグループで解決策をプレゼンする授業があったのですが、最終成果物は結果として同じようなものになったとしても、グループによってアプローチの仕方がまったく異なるところがおもしろかったですね。その内容が教授の好みに合っていなくても、理にかなっていたら評価してくれる点も興味深かったです。

――交換留学を終え、ムサビを卒業後、再びミラノ工科大学の大学院に留学することを決めた理由を教えてください。

森本:交換留学は半年間だったので、留年せずに4年生に進級できました。そのなかで、大学院での勉強をきちんと終わらせたいという心残りがあり、学部を卒業してから再びミラノ工科大の大学院に進みたいと考えたんです。将来はデザイナーになりたいという想いがありましたが、半年間ではイントロダクションの部分しか学べなかったので、デザインを理論できちんと裏付けできるスキルを習得したいと思いました。

ただ、進学したいと両親に伝えたとき、費用について「ムサビの学費で手一杯なので出せない」と言われてしまいました。ミラノ工科大学は国立なので学費自体は安いんです。しかも、幸運なことに大学から学費免除してもらえることになり、奨学金制度も利用できました。でも、生活費が高くて……。だから、進学に向けてフリーランスでデザインの仕事を請け負い、お金を貯めていました。

――2度目の留学準備で一番大変だったことはなんですか。

森本:やはり、ムサビでの卒業制作と就活が重なっていたことですね。一応、遅れを取りつつも卒業制作と平行して就活もしたんです。ミラノ工科大の入試が4年生の11月頃とちょっと先だったこともあって、ふたつめの選択肢として就職もありかなと思っていました。大学院に合格しなかったら就職しようと考えていました。
あとは、留学先に提出する「モチベーショナルレター」という志望動機書のようなものを添削してもらえる人が周囲にいなかったため、おかしなことを書いていないかどうかは自分で判断するしかなかった。そこはとても不安でした。

――2度目の留学ではどのようなことを学んだのですか。

森本:最初の半年間は1回目と同じ授業だったので、リベンジという感覚がありました。思い出深いのは、グループで取り組む“スタジオ”という大きな授業の成果物をフォーリサローネ(ミラノサローネ国際家具見本市の開催にあわせてミラノ市内各所で行われる展示会)に出展させてもらえたこと。大きな成果になりましたし、とてもうれしかったです。

フォーリサローネに向けた準備(左)と本番の展示風景(右)

――留学中に大変だったことはなんですか。

森本:やはり経済的な面でしょうか。もともと物価が高いうえに円安が進んでいましたし、途中からロシアのウクライナ侵攻の影響で、電気代やガス代が高騰しました。住む部屋は友だちと一緒に借りていたのですが、家賃は日本円で1人12万円ほどかかりました。
あと、治安があまりよくないのでスリに遭ってiPhoneを盗まれたこともありました。日本のように戻ってくることはありませんでしたね……。自分の身は自分で守るということを学びました。

――留学前と留学後で、自分が一番変わったと思う点はどんなところですか。

森本:理論立ててデザインできるようになったことです。先ほどお話ししたように、ミラノ工科大では特にリサーチにかなりの時間を費やしてデザインします。そのことで、最終的なアウトプットの精度もより高められるようになったのではないでしょうか。留学を通して、社会や依頼元のニーズにもとづいたデザインができるようになったと自負しています。

クリスマス時期のミラノのドゥオーモ(大聖堂)。奥に見えるのはショッピングアーケードの「ガレリア」

――森本さんは留学にあたって必要なスキルはなんだと思いますか。

森本:語学力はもちろんですが、それよりも大事なのがコミュニケーション能力です。ヨーロッパのデザイン学校の授業は基本的にグループワークなので、コミュニケーションが取れないと授業についていけなくなります。語学が堪能でなくても、グループ内に自分のアイデアをいかに伝えられるかが重要なんです。英語ができる・できないはあまり関係ありません。

実際、日本人だとコミュニケーションが苦手な人が少なくないので、居場所がなくなっていつの間にか授業に出てこなくなる日本人留学生もいました。逆に、イタリア人の学生であまり英語が達者でない人でも、ノリで押し切って自分の考えを頑張って伝えている人もいました。英語でプレゼンしないといけないときは、チーム内の英語が得意な人にその穴を埋めてもらえばいいですからね。

留学中に旅行で訪れた、イタリア・ヴェローナでの1枚

――卒業後に帰国されて、4月からフランスのコンサルティングファームの日本オフィスに、デジタルコンサルタントとして新卒入社されるそうですね。

森本:デジタルコンサルタントという職種ではあるのですが、実はけっこう、デザインとやっていることが近いんですよね。ミラノ工科大で学んだデザインは、現状の課題を打破するために解決策を提示するというもの。この考え方がコンサルと非常に似ているなと思います。
実は、ミラノ工科大学のクラスメイトは基本的にみんなコンサル系志望なんです。広い視野で見れば、デザインってどんな分野に進んでも活用できるということかもしれないですね。

――最後に今後の目標を教えてください。

森本:いつか、自分のクリエイティブスタジオをつくることです。結局モノをつくるのが好きなんですよね。映像作品でもゲームでもなんでもいいのですが、数年後に友だちを交えてデジタル系のクリエイティブエージェンシーのようなものをつくれたらと思っています。
ただ、その目標を叶えるためには、コンサルや経営も学ばないといけない。まずは就職先でそれらを身につけ、自信をつけたいと思います。