ムサビを卒業したあと、海外の教育機関に留学した人へのインタビュー。留学を決めた理由や情報収集の仕方、苦労したことなどを語ってもらいました。入学までの準備や現地での学びや暮らしについて聞くと、日本とは異なる独特の文化も。イメージしづらいことも多い海外留学の実情に迫ります。
<卒業生データ>
渡川いくみ
2014年 油絵学科油絵専攻卒
留学先:
①パリ第8大学 ダンス学科(3年次編入)
②パリ第8大学 大学院 修士課程 ダンス学科
——渡川さんは、現在どのような活動をされているのでしょうか?
渡川いくみさん(以下、渡川):パリ第8大学(ヴァンセンヌ・サン=ドニ大学)でダンスを理論的に学んだ後、さらに研究を深めるため同大学院に進学し、修了後の現在は振付家、ダンサー、アーティストとして活動しています。大学院で学んだ現象学的な観点からダンスそのものについての研究を続けながら、ダンサーとしても日々トレーニングを重ねています。研究と実践は密接につながっていると考えているので、踊ることで見えてくる視点を大切にしながら研究を進めています。
——油絵学科からダンスへの道というのは、一般的には珍しい選択に思えます。どのようなきっかけがあったのでしょうか?
渡川:ダンスについては、5、6歳の頃からクラシックバレエやモダンダンスを習いはじめ、高校まで続けていました。大学進学を考えたとき、ダンスを体育として学ぶのではなく、表現活動のひとつとして学びたいと考えたんです。でも、当時の私のさまざまな条件を鑑みたうえで、日本ではそういった形で学べる場所が見つからなくて……。加えて、ダンサーとして舞台で踊る経験のなかで、ダンスは絵画に似ていると常々感じていました。空間としてのキャンバスに、体の動きや表情、呼吸を通して風景画を描く。両親の影響もあり、もともと絵を描くことも好きだったため、「表現とはなにか」を考える機会と手立てを与えてくれるムサビの油絵学科に進学しました。
油絵学科では2年生くらいまでは授業の課題を中心に制作していましたが、3年生になると自分自身の表現方法を探れるようになってきて、絵画とダンス、両方の方法でなにが生まれるかを試し始めました。卒業制作では大きな平面作品を制作し、それを円形に折りたためるような仕掛けをつくって。その中で動きながら下書きをし、最後は自分が絵具の一部になるような感覚で踊るというパフォーマンスを行いました。
——ムサビを卒業後は教員として働き、その後留学するという選択をされたそうですね。
渡川:はい。卒業後は小・中学校の美術教員として働きながら、アーティストとしても活動を続けていました。生徒たちと向き合うなかで、表現することの本質について考えを深めていきました。教えることで自分自身の表現活動も広がりを見せ、次第に創作活動への思いも強くなっていきましたね。特に夏休みなど長期の休暇を利用して、作品制作やパフォーマンス活動に取り組むなかで、当時の自分の表現するものの文脈を分析するために、ダンスについて理論的に学びたいという気持ちが芽生えていったんです。
2016年の夏にパリに行き、ダンスのワークショップに参加する機会がありました。そこで、ダンスが国として誇る芸術・文化として位置づけられていることを肌で感じました。
ルイ14世の時代、フランス宮廷でのバレエの発展には、巧妙な政治的意図が隠されていました。バレエは当初、貴族の間で娯楽や社会的な儀式として行われていましたが、ルイ14世はこれを戦略的に利用し、貴族たちに毎晩踊らせることで、彼らが政治的な陰謀を巡らせる時間を奪い、宮廷内での安定を図ったとされています。このように、バレエは単なる芸術や娯楽ではなく、ルイ14世による統治の一環として、深い政治的意図と結びついていたのです。
現在、フランスでダンサーや舞台関係のプロフェッショナルとして生活するための社会保障制度が整っているのは、そのような歴史的・政治的背景があるためでもあります。
また、プロだけでなくアマチュアの層も厚い。劇場や、ダンス専門の教育機関やスタジオが数多くあり、ダンスを実践する、観る、議論する機会がとにかく多い。このように、ダンスが日常的に存在しているパリという街の環境に魅力を感じました。
——留学の準備で特に大変だったことはなんですか?
渡川:情報収集が一番大変でしたね。留学に関する本を読んでも、情報が古かったり、一般的すぎたりするんです。留学は本当に一人ひとりが違う条件や環境のなかで選択していくものなので、誰かのやり方をそのまま真似できるわけではありません。
私の場合、まずは日本でフランス語を学ぶために語学学校に通い始め、そこの留学相談を利用したり、ほかの留学センターにも相談に行ったりしました。ワーキングホリデーのセミナーにも参加して、とにかくいろいろな可能性を探りました。ただ、やはり最終的に実際にパリに行って、現地の雰囲気を確かめることができたのが大きかったですね。
——語学の勉強はどのように進められたのでしょうか?
渡川:フランス語検定の本を買って、通勤電車の中で読んだりしていました。2年ほどかけて3級レベルまで進んだところで、独学でこれ以上身につけることは難しいと感じ、語学学校に通い始めたんです。大学や大学院に留学する場合、必ず一定以上の語学レベルが求められます。受験すらできないこともあるので、語学は重要な準備のひとつです。完璧を目指す必要はありませんが、自分のペースでコツコツと楽しみながら続けることが大切だと思います。
——留学生活で得られたものはなんでしょうか?
渡川:ゼロに戻るような経験ができたことですね。最初は教科書を開いても意味がわからず、学生同士のディスカッションでも話題についていけない。そんななかで、一つひとつの言葉の意味やニュアンスを感じ取りながら、自分の考えを解釈し直していく時間を過ごしました。日本にいると慣れた社会システムのなかで感覚的に過ごしてしまいがちですが、留学することで立ち止まって考え直す機会を得られました。
特にさまざまな文化的ルーツを持つ人が共存するパリでは、ひとつの所作や表現の受け取り方が人によってまったく異なることもあります。そういう環境で、自分らしく在ることの大切さや、自分の考えを言葉にして伝えることの重要性を学びました。思い通りにいかないことも多いのですが、それも含めて人間的に成長できる機会だったと感じています。
——渡川さんはパリ第8大学ダンス学科を卒業されたあと、同大学の大学院にも進学されました。パリ第8大学時代の研究内容について教えていただけますか?
渡川:ダンサーが土という素材に触れながら踊る振付作品の分析を行いました。ピナ・バウシュ『春の祭典』(1945)以降に主にフランス、日本、アメリカで創作・発表された作品を調べていくなかで、素材との物理的な関わり方によって生まれる身振りや動きを、現象学的な視点から考察するものです。
調べたところ、土といっても大きく3種類に分けられるんです。腐葉土のようなふわふわした土、粘土のような粘着性や可塑性のある土、そして泥のような液体状で流動性のある土。それぞれの素材によって、ダンサーの感じ方や生まれる動きが異なってきます。ダンサーが実際に土に触れることでなにを感じ、それがどのような身振りを生み出すのか。それは同時的なもので、感じたから動くというわけではなく、感じながら動き、動きながら感じていく。その相互作用のなかで生まれる表現に興味がありました。
そして観客は、それをダンスとしてどのように受け止めるのか。作り手=振付家、踊り手=ダンサー、そして見る人=観客それぞれの、社会・文化的で象徴的な土のイメージももちろん議論のなかに盛り込まれてくるでしょう。パリ第8大学では、このように視点を変えながら、解剖学的、社会学的、文化人類学的、歴史的、美学・芸術的、心理学的な観点から「ダンス」というものをひとつの現象として捉え、分析・研究していくという特徴があります。
——今後やってみたいことはありますか?
渡川:現在は大きく二つのプロジェクトが進行中です。
ひとつは振付家・ダンサーとしての活動です。現在は振付作品を創作・発表しながら生計を立てていけるよう、フランスの社会システムを勉強しながらストラクチャーを構築しているところです。
同時に、ダンサーとしてのトレーニングとして、ここ2年ほど、ヒップホップのポッピンというダンスに取り組み、体の細かい部分を動かすアイソレーションの技術を磨いています。音楽のリズムに合わせて踊りながら、酸素を体内に送り筋肉を瞬間的に震わせるというポッピン特有の動きの連続のなかで、今まで知らなかった体のパーツ(筋肉、骨、関節、筋、皮膚など)の位置やその感覚に気づく。これは、素材と触れ合うことで新たな身体的な感覚が目覚めていくことと似ており、ムサビやパリ第8大学で行った研究とも通じるものがあります。
フランスではコンテンポラリーダンスとヒップホップダンスの境界が緩やかで、両方のスタイルを目の当たりにする機会も多いんです。この環境を活かして、自分の体の質感を深めながら、今までつくってきたダンス作品のコンセプトなども参考にしつつ、より精緻で深い作品を目指しています。今年の12月にはカメルーンで新作を発表予定です。
もうひとつは、ダンスの研究を通じて社会に働きかけていくことです。フランスには、ダンサーや舞台芸術に関わる人々のための社会保障制度があります。一定時間以上の就業実績があれば、不規則な収入を補完するシステムがあるんです。一方、日本ではまだそういった制度は十分とは言えません。ダンスとはなにか、どのような価値があるのかを研究し、発信していくことで、日本のダンサーやアーティストの活動を後押しできればと思っています。