学生が就職以外の進路を選択する際に知っておきたい予備知識を、ゲスト講師に“7つの質問”を投げかけて学ぶ課外講座「作家・フリーランス・起業家入門」。今回の講師は映像作家の長添雅嗣さんです。ムサビのデザイン情報学科在学中から、映像作家の小島淳二さんに師事。モーショングラフィックスデザイナーとして数々のCMやMVの制作に参加し、技術を磨いたのちに独立しました。現在は人気アーティストのMVや大ヒットアニメのエンディング映像(ED)を手がけるなど、実写とアニメの両方で活躍する長添さんに、これまでのキャリアパスや学生時代にやっておいたほうがいいこと、フリーランスとして生き残っていくための心構えなどを伺いました。

●ゲスト講師 長添雅嗣(映像作家)
●聞き手 酒井博基(株式会社ディーランド代表取締役)


メディアや媒体にとらわれない活動が、“映像作家”を名乗る理由

酒井博基(以下、「酒井」)まずは自己紹介からお願いできますでしょうか。

長添雅嗣(以下、「長添」)僕はデザイン情報学科の1期生で2003年に卒業しました。卒業後は憧れていた映像作家の小島淳二さんにメールで直談判し、小島監督の会社「teevee graphics」にアシスタントとして入社したので、キャリアのスタートは会社員でした。当時は雑用から事務所の掃除までなんでもやりましたね。並行してモーショングラフィックのデザイナーとして経験を積み、3年目くらいからようやく仕事が来るようになって、4年目で独立しました。

はじめはMVやCS放送の音楽番組のジングルの制作をするくらいで、正直収入はあまりありませんでしたが、好きなことで生活できるようになってきたのがうれしかったです。しばらくして、テレビCMなどの案件も入り始め、生活が安定しました。CMやMVのほか、東京駅でのプロジェクションマッピングのような展示映像や、セレモニー空間での映像演出なども手がけています。

また、基本的にはずっと実写でやってきたのですが、テレビアニメ『呪術廻戦』の第1期EDムービーやYOASOBIの楽曲『セブンティーン』のMVなど、ここ数年はアニメーション作品も増えてきました。

僕はいま映像作家を名乗っていますが、実はこれはすごく曖昧な表現です。強いていえば、映像をつくるのが得意な人なのかなと。似た職業にCMディレクターや映画監督があるのですが、それらと違うのはCMや映画とカテゴライズせずに、どちらも“映像”であるというスタンスでクリエイティブ活動を行っていることかなと思います。

以前は映像というと液晶やブラウン管で流れるだけでしたが、いまではスマホや、街角のサイネージでも見ることができますよね。ここ10年ほどで映像はずいぶん身近なものになりました。だからこそ、せっかく映像をつくるならカッコよくおしゃれにしたい、美しくしたいという考えを持つ企業も増えていて、そういったときに声がかかるのが、ジャンルや形式を問わずに映像をつくることができる僕のような職業なのかなと思います。

同時に、映像をつくることができる人がたくさんいるいまの時代、クライアントワークが多いとはいえ、結局重要なのは作家性や個性。それがないと生き残れない職業だとも思っています。

質問1 学生時代はどのように過ごされていましたか?

(酒井)ひとつ目の質問です。長添さんは学生時代をどのように過ごしていたのでしょうか。卒業後に小島監督に直接メールして採用されたというお話でしたが、アシスタントとして即戦力になれる準備などもしていたのでしょうか?

(長添)作品をつくりたいというモチベーションが高かったので、学生時代は家でひたすら映像をつくっていましたね。卒業するころには分厚いポートフォリオができあがっていたので、作品数はほかの学生の2、3倍は多かったのかなと思います。

小島監督に直接メールをしたのは、実は一度、エントリーシートの段階で落ちてしまったからです。それでも小島監督が好きで、ポートフォリオも見てもらえずに終わるのは悔しすぎると思い、なんとかメールアドレスを入手して、小島監督へ直接メールを送ってみたんです。そしたら奇跡的に返事が来て。後日、作品を見てもらってお話をしたら、「今日から働け」と言ってもらえたという(笑)。

(酒井)デ情の1期生のころって、映像をやる人はそんなに多くなかったですよね。

(長添)はい、卒業制作で映像作品をつくったのは100人中5人くらいでした。

(酒井)「映像作家」という言葉を職業として意識し始めたのはどれくらいの時期でしたか?

(長添)小島監督が映像作家を名乗っていたので、漠然とかっこいいなと思っていました。とはいえ、先ほど話したように、具体的にどこからどこまでが映像作家の仕事かというと非常にグレーで。小島監督も自分を狭くカテゴライズしたくないという意味で名乗っていたのかなといまでは思います。

(酒井)当時、映像以外で気になっていたことや、興味を持っていたことはありますか?

(長添)実は、もともとはイラストレーター志望だったんです。でも大学に入ったら自分よりもうまい人がいっぱいいて、自信を失くしました。グラフィックデザインも楽しそうだなと思っていた時期もありましたね。映像に方向性が定まったのは2年生くらいだったと思います。

質問2 大学卒業後の就職先はどのような考えで選択されましたか?

(酒井)ムサビを卒業したあとの就職先はどんなふうに選んだのでしょうか。

(長添)CMの制作会社を志望して就活をしてみたのですが、「なんか違うな」という思いが拭えず、結局どこも受からなかったんです。モヤモヤしながら過ごすうちに、「それなら憧れている人のところに行ったほうがいいんじゃないか」という気持ちになって小島監督の会社の門をたたきました。

(酒井)現在は映像に関わる仕事も増えて、キャリアの形成の仕方も多様化していると感じます。いまだったらどんな選択肢があって、どうキャリアを積み重ねていけば長添さんのような仕事ができるようになるのでしょうか。

(長添)どうでしょう、正直よくわからないかも(笑)。

でもいまはSNSなど、作品を発表する場が多くてうらやましいですね。僕のころはNHKやキヤノン、エプソンの主催するムービーコンテストに出すくらいしかなかったですから。ただ、そういった場でバズってキャリアが始まることもあるとは思いますが、僕はちゃんとした会社や環境で映像づくりの基礎を学ぶことが絶対に必要だと思います。新進気鋭の若手監督としてデビューしても、2、3年後も仕事が続いているかはそのあいだにつくったもの次第。いろんな表現を求められるなかで、基礎ができておらず仕事が続かなくなってしまうというのはよくある話です。

CMプロダクションの演出部に入る選択肢もあると思いますが、広告畑にどっぷり浸かることになるので、かえって独立するときに苦労するかもしれません。MVの監督に弟子入りしたり、僕と同じように作家さんのアシスタントになるという選択肢もありますよね。

(酒井)長くいい仕事をし続けるためには基礎は大事ということですね。

(長添)そうですね。仕事をこなすことで力がつくこともありますが、「先生」と呼ばれる人のもとで経験を積むのは若いうちしかできないこと。僕も小島監督にはネットに書いていないこともたくさん教えていただきました。そういった環境に自分を置くのは大事じゃないでしょうか。

質問3 YOASOBIのMVや呪術廻戦のEDを手がけるまでのキャリアパスについて教えてください

(酒井)次に、YOASOBIのMVや呪術廻戦のEDを手がけるまでのキャリアパスについて詳しく教えていただきたいのですが、その前に質問です。企業に勤めながらSNSで作品を発表し続けて、独立の機会をうかがうということをやっている方もいたりするのでしょうか?

(長添)イラストの世界などではよく聞きますが、映像の仕事をしながら自分の作品づくりまでできている人はなかなかいないのではないでしょうか。時間を捻出するのがけっこう大変なのではないかと思います。

(酒井)なるほど。映像では働きながらものづくりをするというのは、相当体力がいることなんですね。では、小島さんのもとで過ごした下積み時代について、具体的にどんなふうにステップアップしてきたのか教えていただけますでしょうか。

(長添)誰よりも早く出社して事務所の掃除をしたり、師匠が来たらすぐコーヒーを出したりとか、雑用ももちろんしましたし、わりとわかりやすい下積み時代を過ごしてきたと思います。あとはなにか作業をお願いされたらそれをやってという感じです。でも、最初の1年は自信をなくしてばかりでしたね。僕以外にもアシスタントが4人いたのですが、僕が一番劣っていました。

2年目くらいからだんだん自信がついてきて、3年目あたりからは自分で監督をやってみたいという欲求が強くなって。ちょうどそのころ1本任せてもらえる機会があり、少しずつ仕事が取れるようになってきました。4年目には完全に個人で仕事をさせてもらえて、食べていけるくらいの仕事が来るようになったのを見定めて4年目で卒業したかたちです。

(酒井)4年という期間は、独立するまでの期間として早いほうでしょうか?

(長添)うちの会社のなかでは一番早かったですね。僕が4年目で辞めたあとは、下の世代のアシスタントもそれくらいで辞める流れが定着したようです。

(酒井)自信を失った1年間があっても、モチベーションを保っていられたのは、やはり「映像作家になりたい」という思いがあったからでしょうか?

(長添)僕がアシスタントを始めた2003年ごろって、おもしろい技術が出てきたり、日本のMVがカルチャーとして盛り上がっていて、すごい刺激の多い時代でした。そういうのを見ていたら自分でもつくりたいし、できる気がするというのが先行していて。アシスタントは大変でしたが、いつかはつくらせてもらえると思っていたから続けられましたね。


憧れの監督のもとで下積み時代を送り、基礎を固めてきたからこそ巡ってきた有名アーティストや人気アニメの仕事。後編ではそんな仕事を受注するまでのプロセスや、学生時代にやっておいたほうがいいこと、10年後、20年後の展望についてもお聞きします。

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<講師プロフィール>
長添雅嗣/映像作家

武蔵野美術大学デザイン情報学科卒業。teevee graphicsにて小島淳二監督に師事。モーショングラフィックスデザイナーとして経験を積み2008年に独立。ミュージックビデオの監督としてキャリアをスタート。現在ではテレビCMやテレビアニメをメインに実写・アニメを横断してさまざまな映像作品を制作。2016年KICKS設立。代表作にはテレビアニメ『呪術廻戦』1期ED、YOASOBI「セブンティーン」MV、東京駅プロジェクションマッピング「TOKYO STATION VISION」、MAZDAブランドCM「心よ走れ。」、ももいろクローバーZ vs KISS「夢の浮世に咲いてみな」MVなどがある。