学生が就職以外の進路を選択する際に知っておきたい予備知識を、ゲスト講師に“7つの質問”を投げかけ学ぶ課外講座。今回の講師は、ムサビの空間演出デザイン学科を卒業し、現在はアートレジストラーやキュレーターとしてThe Chain Museumに勤務する川越地球(かわごえ・てら)さん。現場を経験しながら、アーティストが「つくり続けられる」環境づくりに取り組んできました。「卒業後も創作を続けたい」と願う学生に向けて、川越さんのキャリアやアートマーケットの現状、そして若手作家に伝えたいリアルな視点を伺いました。
●ゲスト講師 川越地球(The Chain Museum Art Registrar)
●聞き手 酒井博基(株式会社ディーランド代表取締役)
アートをもっと身近に。多角的な視点で仕掛ける「The Chain Museum」の仕事
酒井博基(以下、酒井)川越さんは現在、The Chain Museumにお勤めですね。具体的にどんなお仕事をされていますか?
川越地球(以下、川越)The Chain Museumは「気付きのトリガーを、芸術にも生活にも。」というミッションのもと、アートを生活に取り入れる事業を展開しています。

(川越)事業は大きく3つあり、ひとつ目は、作家が作品をオンラインで販売できるプラットフォーム「ArtSticker」の運営。現在、約25万人以上のユーザーと3000組以上のアーティストが登録しています。
ふたつ目はギャラリー事業で、私は主にこちらに関わっています。食とアートを融合させた展示を行っており、都内で4カ所のギャラリーを運営。たとえば、ビストロやベーカリーなどを併設し、食事とともに楽しめる空間をつくっています。

3つ目はコーディネーション事業です。生活のなかにアートをちりばめるために、ホテルや商業施設、オフィスなどの空間をプロデュースしています。「購入する」という選択肢だけでなく、サブスクリプション型のアートレンタルも提案しています。
組織としては、「アート」「ビジネス」「テクノロジー」の分野それぞれから、多種多様なバックグラウンドのメンバーが集まっていることが特徴。また「アート」の分野のなかでも、アカデミックな知識を学んできたメンバーから、アートビジネスに実務で携わってきたメンバーまで、幅広く在籍しています。それもあって、さまざまな異なる視点が集まり、それがアーティスト視点と融合して事業が成り立っています。
2023年春にジョインしてから約2年半が経ちますが、毎日が学びの連続です。
質問1 大学では制作を学んでいたのに、アートキュレーターという職業に就いた経緯は?
(酒井)ではさっそく7つの質問を通して、さらにお話をうかがいます。まずは、大学で制作を学んでいた川越さんが、アートレジストラーやキュレーターという職業に就いた経緯について教えてください。
(川越)高校も美術科だったのでずっと制作をしてきましたし、武蔵野美術大学に在学しているときも「自分には制作が向いている」と感じていました。
転機は大学3年のとき、海外短期研修でニューヨークを訪れたこと。日本のアートシーンが海外に比べて大きく遅れていると実感し、その理由を考えるようになりました。そして「アーティストが学び、活動できる場が極端に少ないのでは」と思い至ったことがきっかけのひとつです。キュレーターという職業があることも、このときに初めて知りました。
もうひとつのきっかけは、先輩の卒業制作を手伝ったこと。すばらしい作品をつくる人ほど、卒業後に制作をやめてしまう現実があり、何度もやるせない気持ちになりました。
それらを経て、「才能ある人が少しでも長く活動を続けられる場をつくりたい」「日本の美術の在り方に関わる仕事がしたい」と思うようになり、キュレーターを目指しました。

(酒井)いまでも「自分も作品をつくってみようかな」と思う瞬間はありますか?
(川越)正直、人の作品を見ているときほど、創りたくなります(笑)。作家さんと制作の話をしているときほど、「このアイデア、自分だったらこうアウトプットするな」と考えたり…ただ、私は、自身の作品制作とディレクションの両立が難しいタイプと感じていたので、いまは作品づくりはしていません。
(酒井)アートキュレーターという職業には、もともと作家だった方が多いんですか?
(川越)実はそうでもなく、制作経験のある人は少ないです。重要なのは、作家や作品を深く理解したうえで、文脈や現代の社会的背景を踏まえながら、作家自身が言葉にしきれないような部分まで解釈し、鑑賞者にわかりやすく伝えられるか。そういった意味では、美術史などアカデミックな知識があると説得力が増すので、学芸員の資格を取っておけばよかったなと、いまになって思います。
質問2 株式会社アートフロントギャラリー、RICOH ART GALLERYのふたつの会社で学んだことについて教えてください
(酒井)前職であるアートフロントギャラリーとRICOH ART GALLERYでは、それぞれどのような経験をされましたか?
(川越)アートフロントギャラリーでは、芸術祭の企画や、ホテルやマンションアートのコーディネーションを担当しました。それらを通して得たのは、アートを通して伝えられる幅の広さです。

(川越)瀬戸内国際芸術祭などの運営にも携わりましたが、芸術祭は特別な人だけの舞台だと思っていたので、実は意外と多くのチャンスがあることを知られたのは大きかったですね。
私が学生時代は特に、作家はギャラリーに所属しないと作品を発表できないというイメージが強かったのですが、実際にはさまざまな発表の方法があります。そういった情報を学生時代から知れる機会がもっとあればよかったな……と思います。
(酒井)そういう情報が、在学中に入ってこない理由はなにかあるんでしょうか?
(川越)自分から外に出て情報を取りにいかないと、なかなかつかめないと思います。美術大学(特に私大)は都心から離れているため、学校と家の往復だけで4年間が過ぎてしまうことも多いのではないでしょうか。
だからこそ、アートに関係ないことでもいいので、学外のイベントなどに参加してたくさんの人と交流してみることをおすすめします。そこで得られる情報の差は大きいです。
(酒井)これまでの講師のみなさんも同じことをおっしゃいますね。やっぱり現場に行くことは大事なんだなと感じます。
(川越)そうなんです。ネットや講演だけでは知ることができない“リアルな情報”を、現場では得ることができる。大学は守られた環境だからこそ、外からの情報のほうがリアルで役に立つと思います。
(酒井)RICOH ART GALLERYでは、どんな学びがありましたか?
(川越)RICOH ART GALLERYへは、アート作品を買いたいと考えている人にどのような提案ができるかを学びたくて転職しました。展覧会の企画からスケジュール管理、プレスリリースまで、ギャラリー業務全般を経験しました。
ここで一番印象的だったのは、「アートの価値は人によってこんなにも違うんだ」ということです。純粋にアートが好きな人、資産として買う人、「この作家の作品だけはほしい」と熱心に求める人……いろんな購入動機があることを知りました。

(酒井)たしかに「好きな人だけが買う」もの、というイメージがありました。
(川越)背景を知っておくと、どこに、どうアプローチすればよいかが見えてきます。とはいえ、そこに振り回されると制作に影響が出るかもしれない。だから私たちのような立場の人が、作家さんに自由にのびのびと活動してもらえるようにサポートすることが必要だと思います。
質問3 The Chain Museumにどのような魅力や可能性を感じて入社されたのですか?
(酒井)続いての質問です。The Chain Museumには、どのような魅力や可能性を感じて入社されたのでしょうか?
(川越)一番は、自分が課題だと感じていた「若手作家の支援」に関われる点でした。大学時代、つくることが好きだった同級生や先輩が制作をやめていくのを何度も見てきて、それがすごく悲しかったんです。
The Chain Museumの事業は、そうした人たちが活躍できる場所をつくることにつながっている。それが大きな魅力でした。
入社当時、新しいギャラリーを3つ立ち上げるという話もあり、「ゼロからつくる経験ができる」という点にも惹かれました。そしてなにより、社風ですね。誰と話しても、個々が自身の意見やビジョンを持っていて、それでいて他者の意見も真剣に聞いてくれるので、新しい提案が通りやすそうな風通しのよさを感じたんです。

(酒井)代表の遠山正道さんと伊藤直樹さんのタッグもおもしろそうですね。
(川越)そうですね。遠山もアーティストなので、「もっと楽しいことをやろう!」という空気があります。その柔軟さがいいなと思いました。
(酒井)社員みんなで「実現したい世界」が共有されているからこその風通しのよさ、という気もします。
(川越)新しいアイデアを否定しない文化があるんですよね。ビジネスだからこそ、お金を生まないといけない。でも、「作家にとっていいことってなんだろう?」「美術業界の未来のために、なにができるだろう?」という視点が根本にある。
だから、そのための新しい提案は受け入れられやすい。スタートアップならではの柔軟さもあると思います。

(酒井)そうした環境でギャラリーの立ち上げに関わったことで、どんな学びがありましたか?
(川越)会社の人が聞いたら「まだまだだよ!」と言われてしまいそうですが(笑)、学びが多かったので、その分最初の1年は特に成長スピードも早かったなと思います。それくらい怒涛の1年でした。
各ギャラリーの方向性づくりを間近で見れたことは、とても貴重な経験でした。The Chain Museumでは取り扱う作家のキャリアの幅が広く、各スペースごとの色を出す必要もあるので、それぞれに合った見せ方やコンセプトを考える必要があります。
(酒井)既存の枠組みを引き継ぐのではなく、自分たちでルールをつくっていけたんですね。
(川越)そうなんです。さらに、飲食とアートをかけ合わせた展示が多いので、「飲食×アート」の関係性を考えるのも新鮮でした。
主担当の人だけでなく、社内のみんなで意見を聞きながらながらより良いものを創り上げるのは、とても達成感があり、ひとりの意見だけではないからこそ実現できることだと感じました。
若手作家が活躍できる場を増やしたい——。そんな思いを胸に、ギャラリーの立ち上げや作家支援に奔走する川越さん。後編では、美大卒業後に作家活動を続ける難しさや、変化するアートマーケットの現状、そして作品を「売る」ことへの向き合い方まで。未来を見据えながら、川越さんがいま、作家たちに伝えたいこととは?
<講師プロフィール>
川越地球/The Chain Museum Art Registrar
武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業。株式会社アートフロントギャラリーにて、ホテル / マンション / オフィスなどのアートコンサル、大地の芸術祭(新潟)/ 瀬戸内国際芸術祭などの芸術祭企画運営、ギャラリーでの作品販売業務を経験。
その後、RICOH ART GALLERYのギャラリー立ち上げを経て、2023年4月よりThe Chain Museumに参画。主にギャラリー事業の展覧会キュレーション・運営、法人向け事業のアートコーディネーションなどを担当。
