学生が就職以外の進路を選択する際に知っておきたい予備知識を、ゲスト講師に“7つの質問”を投げかけ学ぶ課外講座。今回の講師はアーティストの神楽岡久美さん。神楽岡さんはムサビの大学院造形研究科を修了後、玩具企画デザイン会社に就職。退社後の現在は主に「美的身体のメタモルフォーゼ」というテーマでアーティスト活動をしています。前編では、進路選択に企業への就職を選んだ理由や活動環境の重要性などについて、神楽さんの考え方をお聞きしました。

●ゲスト講師 神楽岡久美(アーティスト)
●聞き手 酒井博基(株式会社ディーランド代表取締役)


コンプレックスを出発点に、「美」の価値(美力)を問う作品づくりを開始

酒井博基(以下、「酒井」)最初に神楽岡さんの、アーティストとしての活動内容を教えてください。

神楽岡さん(以下、「神楽岡」)私は2012年にムサビの大学院造形研究科を修了し、現在は東京を拠点にアーティスト活動をしています。代表的なシリーズ作品は「美的身体のメタモルフォーゼ」。装飾・拘束・欠損をキーワードに、未来に美しいとされるであろう身体のフォルムを推測し、それを形成するためのギプス(装身具)を制作しています。

「美的身体のメタモルフォーゼ」に関するコンセプトムービー

「美的身体のメタモルフォーゼ」シリーズをつくり始めた出発点は私自身が持つコンプレックスです。「鼻を高くしたい」「猫背である」などのコンプレックスを起点に社会が提示する“美の価値基準”について考え、美しい身体フォルムを問うための装置として制作を始めました。

質問1 進路を選択するときにアーティストではなく、就職を選んだのはなぜですか?

(酒井)神楽岡さんは大学院を卒業後、一度玩具企画デザイン会社に就職されていますよね。進路を選択するときにアーティストではなく、就職を選んだのはなぜですか?

(神楽岡)一言でいうと「一度組織に入って、ものづくりの仕組みを知りたい」と考えたためです。
学部生時代は空間演出デザイン学科ファッションデザインコースを専攻していたのですが、周りの同級生が就活に励むなか、私は卒業制作に没頭していました。教授とマンツーマンで話し合って制作活動に勤しむ日々を送っており、就活に関しては完全に出遅れていたんですね。

ようやく「就活してみるか」と就活情報を集めてみても、入りたい業界・会社のイメージが全然湧かなくて。ファッションデザインコースにいたとはいえ、普段身につけるリアルクローズではなく“身体から派生した表現活動”に軸足を置いて創作活動をしていたため、アパレル業界への関心も高くない。そこで、学部生のころに制作していた衣服のような身の丈サイズのものではなく、“大きなサイズの制作物を用いた表現”にチャレンジしてみようと大学院への進学を決めました。

大学院時代は学外での活動も多く、たとえば美術館でのワークショップを企画したり、国内外の舞台美術の制作に携わったりと、ものづくりの仕事も経験しました。こうした経験を重ねるなかで、「ものづくりを通して誰かに感動を与える仕事がしたい」という仕事観が自分のなかで構築されるようになったんです。ただ、自分ひとりでそのような仕事をするにはあまりにも情報が足りない。それなら、一度組織のなかに入ってものづくりを含めた社会の仕組みを知ろうと考え、広告代理店や番組制作会社、アパレルメーカーなどさまざまな業界の企業を受けた結果、ご縁のあった玩具の企画デザイン会社への入社を決めました。

(酒井)ご自身の仕事観を整理したうえで、一度組織のなかでものづくりの仕組みを学ぼうと思われて就職されたんですね。数ある企業のなかで、玩具企画デザイン会社に決めた理由はなんでしょうか。

(神楽岡)玩具企画デザイン会社もおもちゃというものづくりをする企業です。同社に決めたのは単純に「大人が本気で遊びやゲームについて考えるのって最高だな」と思ったからですね。

(酒井)その後神楽岡さんは玩具企画デザイン会社を辞め、アーティスト活動を開始しています。その経緯を教えてください。

(神楽岡)玩具企画デザイン会社ではデザイナーとして、新商品を毎週企画・プレゼンテーションしたり、グラフィックデザインをしたりしていました。そこでの私の仕事はいわば“売れる商品をつくること”だったんですね。この現実と、私が抱いていた将来像との乖離を徐々に感じるようになりました。もちろんデザイナーとしてキャリアを積み上げていく選択肢も考えましたが、悩んだ末に「人生一度きりだ」と一念発起して、2014年に会社を退職。2015年からアーティストとしての道を歩み始めました。

質問2 社会人をしながら作品をつくることの、よかったことと大変だったことはなんですか?

(酒井)神楽岡さんは会社で働きながら、並行して作品づくりもされていたと聞いています。そんな神楽岡さんに、社会人をしながら作品をつくることの“よかったこと”と“大変だったこと”についてお聞きしたいのですが、まずは大変だったことはなんでしょうか。

(神楽岡)大変だったことは、会社での仕事とアーティスト活動をどちらも全集中で行うことの身体的な負荷でしょうか。先ほど「(玩具企画デザイン会社では)新商品を毎週企画・プレゼンテーションをしていた」とお話しましたが、当時の私は、いかに自分の企画を通すことができるのか、社内競争を感じながら勤務していたんですね。その傍らで、アーティストとして制作活動にも全力を注がなければならない。単純に両者を両立させることはなかなか大変でした。

(酒井)続いて、社会人をしながら作品をつくることの、よかったことを聞かせてください。

(神楽岡)よかったことは、会社での経験がアーティスト活動のさまざまな面で活かされていることです。どちらも“平面から3Dのモノをつくる”という共通点があり、たとえば会社での「新商品のプレゼンテーション→試作づくり→図面作成→仕様書作成→工場とのやり取り→さらなる商品のブラッシュアップ」という業務プロセスは、アーティスト活動における「アイデア出し→素材の展開図・図面作成&ブラッシュアップ→工場への依頼→組み立て」という制作プロセスと似ています。その意味で、玩具企画デザイン会社での業務経験が作品づくりにおけるベースとなっている部分もあるかと思います。

(酒井)業務で経験したことが、アーティスト活動にもけっこう活きているんですね。

(神楽岡)そうですね。あとは、会社ではIllustratorやPhotoshopなどのデジタルツールも使っていたのですが、実はどちらも入社前はほとんど触れたことがありませんでした。これらのツールを使った技術力の向上は、アーティスト活動におけるポートフォリオや作品のクオリティ向上にもつながっていると感じています。

質問3 アーティストにとって、活動する環境を選ぶことはどれくらい重要ですか?

(酒井)3つ目の質問に移ります。これまでの神楽岡さんのお話を聞いていると、環境に対するこだわりを感じる部分があるのですが、神楽岡さんはアーティストにとって、活動する環境を選ぶことはどれくらい重要だと考えますか?

(神楽岡)私にとってはすごく重要ですね。理由はふたつあります。

ひとつ目の理由は、私が自分の頭のなかだけで創作ができるタイプではないからです。どちらかというと、いろんな人と出会い、知らないことを知り、時に感動する……こうした経験がインスピレーションを生み、自身の創作活動に活かしていくタイプなんです。刺激あふれる経験をより多くするためには、さまざまな活動環境を自ら選んで、そこに飛び込むことが重要だと思います。

ふたつ目の理由は、私がさまざまな環境で刺激を受け、アーティストとしての知見を広げられた経験があるためです。2022~2023年の1年間、私はニューヨーク(以下、NY)で創作活動をしていたのですが、NYでの日々は特に刺激的でした。さまざまな国のアーティストを受け入れているスタジオに所属して制作をしていたのですが、たとえば「あなたにとっての美的価値ってどんなものですか」と国や性別、バックグランドの異なるアーティスト達にリサーチ活動を行い、多様な美的価値観に触れることができました。このリサーチ活動により知見を広められ、創作活動にも反映させることができましたね。

(酒井)それはなかなか日本ではできない経験ですよね。

(神楽岡)そうですね。あと、NYでトントン拍子で展示が決まったこともありました。あるとき私の作品を見に来てくれたファウンダーの方に「どうしてもNYのギャラリーで展示したい」と熱意を伝えたところ、その場で私の作品の写真を撮り「わかった、ギャラリーオーナーにつなぐね」と言ってくれました。そしてその場ですぐに「展示が決まったから準備して」と、秒で展示が決まったんです。このスピード感もなかなか日本ではないですよね。

NYはアート市場で世界No.1の都市です。アーティストが人生を賭けて作品に挑んでいる熱量が感じられる街。いつかまた、NYを拠点にして活動したいなとも思っています。

(酒井)環境を変えたことで、自分自身も変えることができたのですね。後編では、アーティストとして活動するうえで気になるお金の話や、理想のアーティスト像などについてお話を聞かせてください。

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<講師プロフィール>
神楽岡久美/アーティスト

東京都出身。2012年武蔵野美術大学大学院 造形研究科デザイン専攻空間演出デザインコース修了。卒業後、玩具企画デザイン会社・株式会社レイアップ商品企画部に入社する。2014年に同社で玩具・雑貨の企画、デザイン、展示空間ディレクターを経験したあと、退職。2015年より作家として活動を始める。主なシリーズ作品に「美的身体のメタモルフォーゼ」がある。
http://www.kumi-kaguraoka.com/