学生が就職以外の進路を選択する際に知っておきたい予備知識を、ゲスト講師に“7つの質問”を投げかけ学ぶ課外講座。デザイン事務所「LABORATORIES(ラボラトリーズ)」の代表であり、グラフィックデザイナーの加藤賢策さんがゲストです。後編ではグラフィックデザイナーに必要なことや大切なことなどをお聞きしました。

●ゲスト講師 加藤賢策(グラフィックデザイナー/LABORATORIES代表)
●聞き手 酒井博基(株式会社ディーランド代表取締役)

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質問3 独立するまでに最低限必要なスキルはなんですか?

(酒井)ここから3つ目の質問です。独立するまでに最低限必要なスキルはなんだと思いますか?

(加藤)この質問に正面から答えるならば、もう「やるかやらないか」ということだと思います。スキルは仕事をしていくなかでどんどんついていくんです。ある程度の自分の責任のなかで経験を積むことが成長につながると思うし、スキルだけを切り分けて学ぶのは、遠回りだと感じます。

あと、これはつまらない話かもしれませんが、仕事を発注する側からしたら、内容にもよりますが若い人のほうがお願いしやすいということもあると思います。グラフィックデザインの業界だと、歳を重ねて名前が売れてきたりすると、やっぱり簡単にはお願いしにくくなってくる。業界によっては40代でも若手とされることがあると思いますが、グラフィックデザインは20代でも独立できるし、早く始めれば若いうちに注目されることもあります。

(酒井)スキルがあるから独立できるのではなく、独立するからチャンスが巡ってきて、そこで経験とスキルを積むことができるということですね。

(加藤)そうですね。だからこういうスキルをつけてから……ということはそんなに重要ではありません。独立してやっていきたいと思えばそうすればいいし、グラフィックはそれがやりやすい業界だと思います。

(酒井)自分で仕事を受けて、責任を持って納品するという経験が大事なんですね。

質問4 クリエイティブ以外の、独立に必要な知識はどのように吸収しましたか?

(酒井)加藤さんはクリエイターでありながら経営者でもありますが、会社運営の知識はどうやって習得していったのでしょうか? 10人規模の会社を回していくには、大変なこともたくさんあると思います。

(加藤)まず、起業するときの会社の登記などは完全に外注です。自分で一から調べて書類をつくって登記することもできますが、最初につくった東京ピストルのときから司法書士の方にお任せしていました。
お金のことに関しては僕は結構面倒くさがりなので細かいところは経理の人に任せっぱなしです。いまだに年度末に請求書をドッと出して相手を困らせたりしています……。ただ、会社は決算があるので、最終的に決算でちゃんとしていれば大丈夫かなと考えています。

(酒井)支出よりも収入のほうが多いという状況をつくっておけば、会社は回っていくよと。

(加藤)かなりレベルが低い話ですが、根本的にはそういう素朴な世界だと思ってやっています(笑)。だから会社の運営について僕が言えるとしたら、収入を支出より多くしておくとか、頼るべきところは専門家を頼るとか、それくらいです。早く独立したほうがいいという話をしましたが、グラフィックデザインはパソコン1台があれば始められます。初期投資がそんなにいらないので、お金を借りなくてもできる。そういう面でも起業しやすいと思います。

質問5 収入を増やすには、有名になって単価を上げるのと、営業力をつけて仕事量を増やすのと、どちらが効果的ですか?

(酒井)次は加藤さんの値づけの感覚がどう変わっていったのかという質問です。始めたころは当然いまよりも単価が低かったと思いますが、そこからどう上げていきましたか? 仕事の規模や実績、そういう変化に合わせて値段も上げていったのでしょうか?

(加藤)振り返ってみると、やっぱり最初のころはめちゃくちゃ安かったなと思います。でも当時はそれに対して特になにも思わなかったですね。そこから仕事をしているうちに、なんとなく上がっていったというのが正直なところです。いまはすごく割がいい仕事と、単価にしたら全然良くないけれど引き受ける仕事と、両方あります。僕は相手と値段の交渉はあまりしないんです。見積もりは、だいたいこのくらいいけるかなという感覚で出したり、最初のころは相場もよくからないので、JAGDA(日本グラフィックデザイン協会)のデザイン料金表を参考にしたりしましたが、あれは世界が違いすぎて……(笑)。

(酒井)ときどき、学生から「友だちにロゴの制作を頼まれた場合、お金をもらったほうがいいのか」というような質問をされることがあります。加藤さんはどう思いますか?

(加藤)相手との関係性によると思います。このあいだ20代半ばくらいの気鋭の若手のデザイナーたちと話す機会があったのですが、彼らはけっこう貪欲で、安い金額でいろんな仕事を受けていました。とにかく最初は経験を積みたいからと。その気持ちに共感するし、僕もそのくらいの感じでいきたいなと思いますね。もちろんタダみたいな仕事しかなくて極貧生活というのはまずいと思います。でもなにかやったらお金をもらうべきだ、ということにこだわりすぎるのも違う。難しいところですが、自分の労働時間とかを気にしすぎると、逆に経験が積めなくなったりもすると思います。

(酒井)あまり安売りしすぎても……という視点もありますよね。

(加藤)そうですね。ただ自分の経験から言うと、最初は安売りしてナンボなんじゃないかなと。とはいえ安売りしたというつもりもないのですが、あまりいきなり高く提示するよりは、相手との関係性やそのときの雰囲気でやっていくのがいいのかなと思います。

(酒井)金銭以外の報酬をどう考えるかということですね。この仕事を通じてなにを得たいのかということを、ちょっと考えてみるだけでもいいのかもしれません。

(加藤)僕は営業らしいことをしたことがないと話しましたが、もらった仕事をしていると、つくったものを誰かが見ているんですよね。それで人づてに仕事がくる。そういうことが起こりやすい世界なので、最初はとにかく仕事をすることが営業になるんです。デザインしてつくることでお金をもらいつつ、その仕事自体が営業になっていく。だから営業と仕事とか、スキルと経験とか、切り分けられない。とにかく仕事をすることで全部ついてくるという感覚かなと思います。

(酒井)さらにいえば仕事以外で美術館に行ったり人と会ったりというのも、自分にとっての栄養になる。すべてが仕事につながってくるということですね。

(加藤)本当にその通りで、営業のためではなく、自分がおもしろいと思ったところに足を運んでいたら、自然と人脈も生まれていくと思います。

(酒井)加藤さんはどういうところに行っていましたか?

(加藤)僕は人文や思想にも興味があったので、デザイナーが集まるようなシーンではなく、社会学者や編集者や批評家が集まるような場所によく行っていました。2000年代半ばくらいは、若手の編集者や建築家とか、いろんな分野の人が集まるようなイベントがあって、そこで編集者との出会いがたくさんありました。

また、そこには若いデザイナーが活きる場所があったんです。当時の人文系の媒体はデザインという意味ではあまりパッとしなかったけれど、僕はデザインができたのでけっこう重宝されました。僕自身はそれを狙っていたわけではないし、無理にそういうところに行ったほうがいいということでもありませんが、いわゆるデザイン業界のシーンに行くよりも、デザインがないところに行ってそこを変えた方が手っ取り早い。これは実感としてあります。
ただ無理やりそういうところを探して行くのではなく、自分がおもしろいと思うところに行ったほうがいいですよね。おもしろいと思うことをやるのが一番近道なのだと思います。

質問6 いい仕事にも人にも恵まれて、ちゃんと収入もあって、プライベートも充実させたいという願望を叶えるために一番大切なことは?

(酒井)では次の質問です。グラフィックデザイナーに限らずフリーランスになると難しそうなイメージがあるので、あえて加藤さんに聞いてみたいと思います。仕事にも人にも恵まれてプライベートも充実させるために大切なことはなんでしょうか。

(加藤)僕の場合は「これはプライベートで、これは仕事」みたいな考え方がないんです。時間を切り分けたりも、あまりしていません。会社で働く場合はそういう切り分けが大事な気がしますが、僕はすべて仕事でプライベートでもあるという感覚。そういう感覚がある人はフリーランスに向いているんじゃないかなと思います。

(酒井)加藤さんの場合は、あらゆることがデザインにつながっているように感じます。

(加藤)そうだと思います。僕はあまり切り分けない。これもフリーランスらしい感覚なのかもしれません。だからずっと不安でもあるんです。

質問7 10年後、20年後など、先のことを考えることはありますか?

(酒井)最後の質問です。加藤さんが先のことについてどう考えているのか教えてください。そもそも先のことを考えることはあるのでしょうか。

(加藤)それはもちろんあります。先ほどの話につながりますが、グラフィックデザイナーはやはり若いころのほうがいろんな仕事を受けやすいんです。僕の経験からすると、20代のころは年上の人から「これできる?」みたいな感じで仕事をもらって、その人の期待以上のものをどんどんつくっていく。30代になると、企業に入った同世代の人たちが仕事をくれる立場になってくる。そうなると仕事がすごくやりやすくなります。20代のころは大変だったかもしれないけれど、30代になると周りの環境が変わるということです。もちろん上の人たちから仕事をもらうこともありますが、同世代と「自分たちがおもしろいと思う仕事をしよう」ということにもなる。両方あるんです。だから、その時までにいろんな人と、いろんな同世代とつるんでおくといいと思います。

40代になると、一緒に仕事をしてきた人たちが会社で立場を築き、もらう仕事も大きくなってくる。歳とともにそういう周りの環境の変化があると思います。
一方でグラフィックデザインは流行り廃りがどうしてもあるし、経験を積んで有名になるとお願いしにくくなるという段階もくるんです。そう考えると、経験を重ねてからの方が戦略が必要になってくるのかもしれません。

グラフィックデザイナーの生きる道としては、ほかの誰にもできないようなことができるほんのひと握りの人になるか、あとはチームでやるしかない。たとえばラボラトリーズは、僕が40代後半で、30代も20代もいます。「加藤さんのところは若い人もいるからなんかお願いできるんじゃないか」という安心感があるんだろうなと最近思いました。僕ひとりでやっていたら、仕事の規模はおそらくいまほど大きくないと思いますし、ひとりではやはり限界がある。スタッフを採用する、外注先をつくるなど、やり方はいろいろあると思いますが、僕自身は社内に人がいるという気楽さを感じています。

(酒井)歳をとるということについて、学生のみなさんはまだあまり意識しなくてもいいのかもしれませんが、歳とともに周りの環境が変わっていくということは頭の片隅に置いておくといいのかもしれません。

(加藤)そうですね。年齢によって見える世界も考え方も違うと思います。僕はいまだに、なにか新しいことできるかもしれないと思い、楽しんでやっています。


<講師プロフィール>
加藤賢策/グラフィックデザイナー、LABORATORIES代表

武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科、大学院視覚伝達デザインコースを経て同研究室助手として勤務。
2006年、編集者とともに会社設立。2013年株式会社ラボラトリーズを設立。現在に至る。武蔵野美術大学、横浜国立大学非常勤講師。
美術館および展覧会のグラフィックデザイン、エディトリアルデザインなどを多く手がける。主な仕事に、21_21DESIGN SIGHTにて「もじ イメージ Graphic 展」ディレクターおよびアートディレクション(2023-2024年)、八戸市美術館シンボルマークデザイン(2021年)、雑誌「アイデア」(誠文堂新光社)アートディレクション&デザイン(2018年-)などがある。
www.labor-atories.com