学生が就職以外の進路を選択する際に知っておきたい予備知識を、ゲスト講師に“7つの質問”を投げかけ学ぶ課外講座。今回のゲスト講師はムサビの非常勤講師を務めるグラフィックデザイナーの加藤賢策さんです。2013年にデザイン事務所「LABORATORIES(ラボラトリーズ)」を設立し、グラフィックデザイン、ブックデザイン、ウェブデザイン、サインデザインなどを手がける加藤さんに、これまでのキャリアや独立するために必要な経験についてお聞きしました。

●ゲスト講師 加藤賢策(グラフィックデザイナー/LABORATORIES代表)
●聞き手 酒井博基(株式会社ディーランド代表取締役)


デザイナーとして全国で仕事をし、経営者として会社を運営する

酒井博基(以下、「酒井」)グラフィックデザイナーとして活躍されている加藤さんですが、具体的にどのようなお仕事をしているのか教えてください。

加藤賢策さん(以下、「加藤」)僕はグラフィックデザインを中心とした「LABORATORIES(ラボラトリーズ)」という会社を経営しています。僕を含めて8人のデザイナーのほかに、経理やアルバイトのスタッフがいて、僕は経営者でありプレイヤーでもあります。
グラフィックデザインは広告やブックデザイン以外にも、本当にあらゆるところに潜んでいますが、ラボラトリーズでは特に美術館の仕事を多く手がけています。展覧会における広報物の制作や会場のグラフィックデザイン、展示をアーカイブするための本の制作、グッズのデザイン、それからデザイナーとしてだけでなく、展覧会のディレクターとして関わることもあります。

展覧会は展示をするアーティストが主役ですが、僕たちはアーティストよりもキュレーターの方と一緒に仕事を進めることが多いですね。キュレーターの要望を聞きながら、広報物のビジュアルや会場の見せ方を一緒に考えます。東京では国立新美術館や国立西洋美術館、東京都美術館、東京都現代美術館、21_21 DESIGN SIGHTなど、規模の大きさも内容もさまざま。ほかに青森や岩手、茨城、京都、山口など、地方の美術館や芸術祭でも仕事をしています。

美術以外の仕事では、『アイデア』というデザインの雑誌のアートディレクションや、ブックデザインも長くやっています。ほかに演劇やパフォーマンスのビジュアルをつくったり、ウェブデザインをしたり、ここ何年かはムサビのビジュアルも担当しています。仕事の領域は本当にいろいろですね。

(酒井)ありがとうございます。加藤さんはムサビの視覚伝達デザイン学科出身ですが、学生時代からラボラトリーズを立ち上げるまではどのように活動していたのでしょうか。

(加藤)僕がムサビに入学したのは1995年。僕らよりもっと上の世代は、グラフィックデザインでは“活版印刷”や“写植”を学んでいたと思いますが、パソコンでデザインすることが一般的になり、デザインの仕事の仕方が大きく変わっていった時代だと思います。また、僕が会社をつくったのはSNSが世の中に出てきたばかりのころで、SNSを使って告知や営業活動をするという潮流はまだなかった。そういう時代背景があります。

僕は学部から大学院に進学し、そのままムサビで助手になりました。院生や助手のときからデザインの仕事は請け負っていたのですが、本格的にやり始めたのは2006年です。編集者の友だちと一緒に「東京ピストル」という会社をつくりました。デザインと編集という異なる職種で組んで7年くらい一緒に仕事をしていましたが、その後、あらためてデザインを軸にした会社をつくろうと。そこで東京ピストルから離れ、2013年にラボラトリーズを立ち上げました。

質問1 学生時に、何歳までに独立しようというキャリアプランはありましたか?

(酒井)ここからは7つの質問で、加藤さんがデザイナーとしてどのように独立してラボラトリーズを運営しているのかをお聞きしたいと思います。学生のころはご自身のキャリアプランをどのように考えていたのでしょうか?

(加藤)学生のころはキャリアのことは全然考えていなかったですね。独立や起業についてもなにも知らなかったです。ただ、業界や業種ごとに、キャリアの道筋というのはなんとなくパターンがあると思います。たとえばフリーランスのデザイナーとして独立するには、グラフィックデザインの事務所に入り何年か修行して独立するとか、いくつか事務所を転々として30歳を超えて独立するなど。または広告代理店のような企業に勤めてそこから独立とか。デザイン事務所から独立するのと広告代理店から独立するのでは、その後の道はちょっと違ってきそうですね。

(酒井)加藤さんご自身は、キャリアについてはあまり戦略的には考えていなかったけれど、流れのままに大学院生から助手になり、フリーランスで仕事も受けながら、会社を2つ立ち上げていまに至るということですね。

(加藤)そうですね。僕の人生は自分でなにも選んでいない気がしています。いまの立ち位置も、強い意志を持って築きあげてきたという感覚ではなく、目の前の仕事をおもしろいと思いながらやってきたらいまがあるという感じです。自分自身にはキャリアという考え方はほとんどありませんでしたが、同年代が就活していたのは90年代後半で、就職氷河期と言われていた時期です。それでも僕の周りで就活していた人たちは、みんな就職していましたね。同じ時代を生きていても、自分がどこに身を置いていたかで見えるものも変わってくるんだと思います。

(酒井)加藤さんは学生のころからデザインの仕事をするようになったということでしたが、デザインや仕事のスキルはどうやって身につけていったのでしょうか。

(加藤)就職すると最初から大きな案件に携わることもあると思いますが、そうではない僕は1枚のチラシを知り合いから頼まれてつくるようなことから始まりました。そこから本やビジュアルをつくったり、ディレクションも含めてトータルでやるようになり、だんだん仕事のスケールも大きくなっていきました。やっているうちに、以前はすごく大変だったような仕事が割と余裕でできるようになっている。いつの間にかそうなっていた、という感覚です。
ひとりで始めていきなり現場に立って仕事をしながら覚えていく。印刷所にデータを入稿するときのやり方も、印刷所の人に怒られながらいろいろ教えてもらいました。本当にあらゆることを現場で覚えていきましたね。

(酒井)やったことのない仕事を引き受けて自分のスキルや引き出しを増やしていくというのは、とても実践的ですが、リスクは感じませんでしたか?

(加藤)最初はそんなに大きな仕事でもなかったですし、リスクはあまり感じていませんでした。キャリアについても、「これができたら次はこういうことをやろう」という計画は考えていませんでした。とにかく依頼に対して誠実に仕事をしていると、なにかをやろうと思ったときにはもうそこにいる。そういえば、僕は子どものころから「練習」があまり好きではなく、いきなり「現場行くぞ!」という感じで。計画を立てるよりもそのほうが手っ取り早い気がしていました。

(酒井)自分のスキルが低い状態で大きいプロジェクトに手を出すのは不安だから、就職して経験を積むという考え方もあると思いますが、仕事を始めたころも不安はあまり抱えていなかったのでしょうか。

(加藤)不安ということでいうと、「普通のことというのはどうやってやるんだろう」という、変な悩み方をしたことはありましたね。たとえばプログラミングというのは、以前は理系の領域でしたが、90年代後半の大学院時代にはアートやデザインの業界にも入ってきていました。そういう最先端のことを僕も大学院でやっていたので、とにかく斬新なことをやらないと……といつも思っていたんです。それが仕事を始めてみると、新しいことはもちろんすごく価値があるけれど、“普通にやる”ってけっこう大事だなと。それはほとんど独学でやってきた僕のキャリアの在り方ゆえの悩みなのかもしれないですね。ただそういう悩みも、しだいにどうでもいいと思うようになりました。

(酒井)広告代理店に就職したり、有名なデザイナーの事務所で修行したりということではなく、小さな仕事からコツコツと実績を積みあげていっていまがあるというのは、フリーランスでやっていきたいという学生はすごく勇気づけられるお話だと思います。加藤さんはどうやって営業して仕事をとっていたのでしょうか?

(加藤)僕がスタートしたころはまだSNSもなく、作品を持ち込んだりという、いわゆる営業みたいなことはしませんでした。本当に人づてで仕事をもらっていましたね。友だちの友だちの友だち……みたいな。いまでもそうです。新規の仕事ももちろんありますが、それでも半分くらいは人づてです。

質問2 いまの仕事で食べていけそうだなと思ったのはどんなタイミングですか?

(酒井)人に紹介するというのは信頼がないとできないことなので、やはり加藤さんがコツコツと積み重ねてきた結果なのだろうと本当に感じます。ここからふたつ目の質問です。どれくらいの段階で「食べていけそうだな」、「軌道に乗ったな」と思ったのでしょうか?

(加藤)軌道に乗ったと感じることはありますが、瞬間ではないんです。もちろんいまの営業規模は、起業したときよりもとても大きくなっています。ただ、それが来年はなくなるかもしれないと、いつも思っている。「いまこんなに仕事が来ているのはなにかがおかしい」、「こんなはずない」とずっと思っているんです。僕は基本的に心配性なので、仕事がいくらあっても不安だし、どれくらいあれば安心できるのかもわからない。それがネガティブなことだとは思っていませんが、そこは多分フリーランスマインドなんだと思います。

(酒井)それに関連して聞いてみたいことがあります。ラボラトリーズがどこをめざしているんだろうということです。ラボラトリーズは“加藤さん”というひとつの核があり、ラボラトリーズというよりも加藤さんにという気持ちで仕事を頼む人もいると思います。加藤さんとしては、ラボラトリーズを自分がいない状態でも回っていくような事務所にしたいのか、やはり加藤さんという核があってこそのラボラトリーズでありたいのか、どちらでしょうか。

(加藤)フリーランスのグラフィックデザイナーの働き方は本当にいろいろだと思います。ひとりのほうが気が楽だったりして、売れっ子のデザイナーでもそんなにスタッフを雇っていない人もいます。ラボラトリーズはチラシ1枚だった仕事がどんどん増えていって、それに合わせて人も増やしていきました。手を増やしたということです。だからかなりまだ僕個人の延長線上にあると思っています。この先どうやっていくのかはまだわかりませんが、このあたりは後半の質問でもう少し掘り下げてお話ししたいと思います。


自身のリアルな経験がキャリアとスキルに直結し、それを積み重ねてきた加藤さん。後半ではグラフィックデザイナーに必要なことや大切なこと、これから先のことなどについてお聞きします。

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<講師プロフィール>
加藤賢策/グラフィックデザイナー、LABORATORIES代表

武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科、大学院視覚伝達デザインコースを経て同研究室助手として勤務。
2006年、編集者とともに会社設立。2013年株式会社ラボラトリーズを設立。現在に至る。武蔵野美術大学、横浜国立大学非常勤講師。
美術館および展覧会のグラフィックデザイン、エディトリアルデザインなどを多く手がける。主な仕事に、21_21DESIGN SIGHTにて「もじ イメージ Graphic 展」ディレクターおよびアートディレクション(2023-2024年)、八戸市美術館シンボルマークデザイン(2021年)、雑誌「アイデア」(誠文堂新光社)アートディレクション&デザイン(2018年-)などがある。
www.labor-atories.com