<卒業生データ>
桐野あい
2008年 油絵学科卒

特許庁
情報・交通意匠


――いつごろから美大に入りたいと考えていましたか?

桐野あいさん(以下、桐野):小さいころから暇さえあれば絵を描いていたので、小学生のときにはすでに美大に行きたいと思っていました。ムサビの油絵学科に入学してからも平面作品を描き続け、卒業制作では100号ぐらいの大きな絵を描きました。

ムサビには魅力的な人たちがたくさんいて、すごく影響を受けるんですよ。周りに反対されたとしても「自分は美大に行くんだ」という強い想いを持って入った人が多いせいか、自分というものがしっかりしているんでしょうね。かといってギラギラしすぎず、堂々としている。自分を大事にすることがわかっている人は、どっしりしていて魅力的なんだなといつも感じていました。

ムサビは、私にとってはまさにユートピアでした。居心地がよすぎて、毎日学校に入り浸って……まるでムサビの空気を食べて生きているような感じでしたね(笑)。

――就職をすることは早くから決めていたのでしょうか。

桐野:新卒で売り込めるラッキーなチャンスですから、就職活動はしようと思っていました。将来的に画家としてやっていくことになったとしても、社会勉強をしておいたほうが上手に画廊と渡り合えるだろうという思いもあったんです。作家になるのは、いつでもできるとも考えていました。

――就活はどのように進められたのでしょうか。

桐野:総合職をメインで受けていました。最終的に内定は5社ぐらいからいただきましたが、業種はバラバラでしたね。クリエイティブ職を目指す人はポートフォリオをつくって企業に売り込むと思うのですが、私はつくりませんでした。

就活中は、よくキャリアセンターも利用していました。就活で不安になったときに立ち寄って話を聞いてもらったり、面接の練習をしてもらったりと、かなり活用させてもらったのを覚えています。

実は意匠審査官の仕事を知ったのも、キャリアセンターで卒業生の就活面接記録を見たのがきっかけなんです。印刷会社の情報を探そうと思ってページをめくったら、たまたま特許庁のページが目に留まって。そのときに意匠審査官という仕事があることを知りました。

――複数の内定があったなかで、特許庁を選ばれたのはどういった理由からだったんでしょうか?

桐野:もともと、広くデザインや美術の業界に関わって、クリエイターや作家をサポートしたいという想いがありました。でもなかなかピンと来る仕事がなかったんです。学芸員資格も取ったのですが、もっとビジネス寄りの世界に広く貢献できる仕事に就きたかったんですよね。そんなときに偶然見つけたのが特許庁の意匠審査官で、私にぴったりだと思ったんです。

――意匠審査官の業務内容について教えてください。

桐野:具体的には、意匠の審査と、審査の基準に関する業務をしています。企業などが新製品を開発した際、そのデザイン=意匠を独占する権利(意匠権)を取る、つまり他社に模倣されないために、企業が特許庁に意匠出願をすることがあります。その製品の図面を見て、デザインが新しいものかどうかを調査し、意匠権を付与できるか判断するのが意匠審査です。

日本には明治時代から意匠制度があり、一千万件以上もの資料を蓄積したデータベースがあります。意匠審査では、そのデータベースも活用しながら、出願された意匠と似たものがないかを探し、似たものがあったらピックアップして、出願されたものと本当に似ているのか、簡単に創作できるものじゃないのか、などを検証し、「新規性」や「創作性」があるかどうかを判断します。
数ある製品のなかでも、私はスマートフォンやスマートウォッチ、ノートPC、イヤホンなどの電子機器の意匠審査を担当しています。ちなみにいま、日本で、これらの分野の意匠審査官は私しかいません。

また、審査以外に意匠の審査基準に関する業務も行っています。意匠の審査をするための意匠法という法律について、統一的な条文の解釈や、どのように審査の判断をするべきかの基準をつくる仕事です。

意匠審査官ひとりが審査を担当するのは年間で約800件にものぼる。取材時には「今月はイヤホンだけで70件ほど審査しました」と桐野さん

――意匠審査官にはほかにも美大卒の方がいらっしゃるんですか。

桐野:ムサビの人も芸大の人もいますし、他大学で美術やデザインを勉強してきた人もいて、美術のことを学んできた人が多いです。というのも、意匠出願では製品の図面が提出されるので、それを理解するスキルが必要なだけでなく、図面を通して、このデザインはどこが工夫されているのか、どこが新しいのかといったことを読み取る力が必要なんです。これにはデザインの知識は必須ですし、実制作をしたことも非常に役に立ちます。デザイナーと話す機会もあるので、やはりデザインの知識が必須ですね。

――仕事をするうえで心がけていることはありますか。

桐野:意匠審査官は、意匠法にもとづいて仕事をしています。意匠法には「この法律は、意匠の保護及び利用を図ることにより、意匠の創作を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする。」という条文(第一条)があります。堅苦しい感じがしますが、ひと言で言うと「デザインの力で世の中を活性化させたい」ということです。これが、私たち意匠審査官が常に心がけなければならないことだと思っています。

霞が関に何万人といる国家公務員のなかで、私たちは数少ないデザイン系の国家公務員なんです。そういう意味で、特殊なスキルと経験を持つ私たちがデザインについて一生懸命考えることで、デザイン業界をよくしていける可能性がある。そのことをいつも心に留めています。

――今後の目標ややってみたいことを教えてください。

桐野:今年、意匠に関わる国際会議がたくさん開かれます。これまでの経験を活かして、いろいろな国の意匠審査官と協力関係を築きたいというのが直近の目標です。

公務員の仕事は、堅いイメージを持たれていたり、前例が無いことに挑戦するハードルが高いこともあります。でも、ムサビでものづくりの自由さや柔軟性、自分でとことん考えるということを学んだので、それを失わずに前例と違うことにも取り組んだり、自分で考えたりしながら、仕事をしていきたいと思っています。