<卒業生データ>
田中友美子
2000年 視覚伝達デザイン学科卒

NTTコミュニケーションズ株式会社
KOEL Design Studio
Head of Experience Design


――田中さんがムサビを志望した理由を教えてください。

田中友美子さん(以下、田中):家族みんながデザインの仕事をしていたので、デザインに関してそんなに飛躍した夢を描いていたわけでもないし、まったく知らない世界でもありませんでした。

そういう家庭環境もあって、高校生のころからムサビを第一志望にしていました。美大のなかでムサビを選んだのは校風が合いそうだなと思っていたから。入学後にほかの美大に行った友達に話を聞いても、コンピュータやテクノロジーといった新しいものに対しての感度の高さがほかの大学とはひと味違うと知り、ムサビを選んでよかったなと思いました。

――大学で学んだことで特に印象に残っていることはありますか。

田中:ムサビの視覚伝達デザイン学科はとても伝統的な学科で、グラフィックデザインの業界で実績のある先生方が多くいらして、ヴィジュアルコミュニケーションの基礎をしっかり学べます。ただ在学当時は、若者らしく、なにか斬新なものに触れてみたい気持ちもありました。

そんななか、2年生のとき、古堅真彦先生のプログラミングについての実習授業がありました。当時はまだ手作業が主流だったデザインがコンピュータでもできるようになった頃で、その「コンピュータ」を直接操作する感覚のプログラミングに、新しさと衝撃を受けたんですよね。だから、卒業制作はコンピュータプログラミングを使った作品を制作しました。まったくの未経験でしたが、いろんな方に助けてもらいながら作ったのを覚えています。

――田中さんは、ムサビを卒業されてから一度就職したあとに留学されたとうかがいました。

田中:2000年にムサビを卒業して、新卒で株式会社アレフ・ゼロ(現:株式会社コンセント)に入社して、『an・an』をはじめとした雑誌のデザインなどを担当しました。メディアアートやコンピュータにも興味はあったのですが、当時は就職氷河期ということもあってそういった仕事はありませんでした。だから、それ以前に興味があったエディトリアルデザインに関われて、かつ新卒採用している会社に就職しました。

数年務めたあと、2003年にイギリスに留学しました。もともとムサビ在学中から留学したいと思っていましたが、新卒で一度働いておけば、留学してうまくいかなくて帰国したとしても、中途採用でエディトリアルの仕事ができるのではないかと思ったからです。

留学先は、イギリスの大学院大学のロイヤル・カレッジ・オブ・アートでした。選んだ理由は、コンピュータを介在するデザインが学べたから。インタラクションデザイン学科に入り、そこで2年間修士課程で勉強しました。

ロイヤル・カレッジ・オブ・アートに通っていた当時の田中さんの机。天井に電源があるという電球のソケットの可能性に関心を持ち、電球型のラジオをプロトタイプしていた
2004年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでの電子工作ウィークの様子

――大学院に行く前に、一度就職していたことは良かったと思いますか。

田中:すごく良かったと思います。仕事で求められることや、社会の中で自分ができそうなことがなんとなくと見えている状態だったので、「なにを学ぶ必要があるか」と考えるところからスタートすることができました。だから「卒業するために、学校のカリキュラムや勉強をこなす」という姿勢になりませんでした。他学科に少し首を突っ込んでみるとか、興味のある人に直接話を聞いてみるとか、課題の向き合い方に関しても最後に何を打ち出して残すかが次につながるかということを体験できました。

正直、大学は「みんなが行くから」と行ったところもありましたが、大学院は自分で行きたいと決めました。友達がキャリアを積み上げているなかで、会社勤めを辞めて大学院に行く選択をしたからこそ、行っただけで終わりたくなかった。なにかを学び取らなきゃいけないという思いは強かったですね。

――大学院を卒業されてからは、どういったキャリアを歩まれたのでしょうか。

田中:卒業制作でもおもちゃをつくっていたので、その延長でアメリカのおもちゃの会社に入社し、R&D(研究開発)チームで、未来の子どもの遊び方などを提案する仕事をしました。

その後、デザイン会社への転職を経て、電気通信機器メーカーのノキアに入り、イギリス・ロンドンのオフィスでインタラクションデザイナーという職種で働きました。ここでやっとデジタルデザインの専門職に就けたのです。ノキアは、iPhoneが登場するまで携帯電話市場で世界のトップシェアを獲得していた会社でした。入社した当時はまさに全盛期でした。

――ノキアではどんなお仕事をされたんですか。

田中:ノキアではサービス&UIチームに所属して、さまざまな新しいサービスのコンセプトを作るプロジェクトに関わりました。ノキアは、当時まだ新しかったデザインリサーチの専門家の方が多くいる組織だったので、デザインリサーチの手法も実践を通じて学ぶことができました。

その後、転職してソニーに入社し、「PlayStation®4」をつくるプロジェクトにインタラクションデザイナーとして参加しました。本社は日本ですが、アメリカオフィスで採用されたので、日米それぞれの人たちと関わりながら、いろいろな提案や調整をしたりして、2年くらいかけてリリースしたことは思い出深いです。

ノキアでは、R&D(研究開発)的な視点から新しい行動を提案する仕事が多かったのですが、PlayStation®4はさまざまな条件をクリアしながら製品の実装まで進めるという作業を経験しました。おかげで自分の仕事の幅が大きく広がったと思います。

――その後はどういったキャリアを歩んでこられたのでしょうか。

田中:ソニーで働いていたときはイギリスからアメリカに引っ越していたのですが、途中でイギリスに戻り、しばらくリモートで仕事をしていました。ただ、次第に「この仕事をずっとやるのかな」と疑問に思うようになり、デザインコンサルの会社に転職しました。

ノキアやソニーでインハウスデザインのやり方に馴染んでいたので、コンサル会社に入るのは少し勇気がいりました。コンサルはどんなお題が降ってくるかわかりませんから。でも、デザインのジムに入会して鍛えるような気持ちで転職することにしました。
実際に入社すると、それまでとはやり方がまったく違いました。同じソリューションを提案するのにも伝え方を工夫したり演出することが大事だったりするんですよね。メンバーのマインドセットなども含めて、とても勉強になりました。

2018年ごろ、Methodというデザインコンサルで「TRUST/2030」というプロジェクトに取り組んだときの1枚

――留学以来ずっと海外で働いてこられたなかで、どういったきっかけで日本に帰国されたのでしょうか。

田中:その会社で5年くらい働いたころ、世界中で新型コロナウイルスがまん延して、すぐに日本に帰れないという状況にはじめて陥りました。当時「ずっとイギリスに住むのかもなあ」と漠然と考えていたのですが、そういう状況になってあらためて自分の暮らし方について考えました。それで一度日本に戻って、日本で暮らす家族や生活に向き合おうと思い、帰国して今の会社に転職したのが2021年のことです。結局、海外には17年間住みました。

――田中さんは現在どういったお仕事をされているのでしょうか。

田中:NTTコミュニケーションズのデザインスタジオ「KOEL」で、Head of Experience Designを務めています。他社と共に事業を創る共創事業や自社プロダクトのデザインだけでなく、社内のデザイン人材育成を通じた組織づくりをしたり、新しいデザインの領域を広げるようなプロジェクトの支援をしたりしています。

――これまでのお仕事のなかで一番印象に残っていることを教えてください。

田中:直近ですと、KOELで2021年からスタートした「ビジョンデザイン」と呼ばれるデザインリサーチのプロジェクトですね。未来洞察という領域で、未来の社会についてデザインの手法を使って考えるプロジェクトです。

私自身、海外に暮らしながら日本の高齢化が進んでいることは知っていましたが、実際に日本に住んでみると「なるほど、高齢化ってこういうことなのか」と思うことが日常のなかでたくさんありました。たとえば、携帯電話を契約するときの契約書の文字が大きかったり、役所の方がゆっくりしゃべることが当たり前になっていたり。いつのまにか私たちの暮らしは変化していたんだなと感じました。これからどんどん少子化が進んで人口が減ったら、さらにどう変化していくのだろうと考えてしまいました。

そうした経験をふまえて、1年目は高齢化が進む地域を訪問して、未来の仕事について考え、2年目は過疎が進む地域で新しい豊かさを見つけるためには何をすべきかを探索しました。リサーチを進めるなかでさまざまな衝撃を受け、一生忘れられないプロジェクトになりました。人口減少高齢化の先進国である日本で、このようなプロジェクトをやる意義は大いにあるなと思いました。

未来の生き方について考えるときにデザインの手法が活用できるなんてことは、ムサビで学んでいたときは思いつきもしませんでした。デザインという領域の幅広さをすごく感じました。

KOELで実施した未来洞察のプロジェクト「ビジョンデザイン」から見つけた、未来の兆し、未来の社会像についての考察を本にまとめている
2022年、ビジョンデザインで訪問した、長崎県雲仙市小浜町でのフィールドワークの様子

――これまでの経験が、いまの仕事に活かされていると感じることはありますか。

田中:いまは多くの会社で“共創”がテーマになっており、それは弊社も同様です。NTTコミュニケーションズが扱う通信インフラだけでは解決できない社会課題がたくさんあるので、他業種の会社さんと一緒に解決方法を考えることが少なくありません。

コンサル会社を経験したおかげでさまざまな業種への向き合い方に経験があったり、企業のインハウスデザイナーとして働く中で社内の他職種の方にどういうコミュニケーションをとったらうまく合意がとれるかを経験できたことが、今の仕事に生かせています。社内で起こる幅広いプロジェクトに対して対応できているのは、今までの経験のおかげだなと思います。

――これまでのキャリアを振り返ってみて、ムサビ出身でよかったなと思うことはありますか。

田中:ムサビを卒業するときはこういうデザインの仕事をするとは想像もしていませんでしたが、振り返ってみると、大学時代に新しいものに向かっていくスキルを身につけていたおかげかもしれません。興味のあることにはなんでもチャレンジしてみる、そしてちゃんとやりきる、という精神は大学時代に養われたと思います。ムサビでの4年間は、間違いなく私の“開拓人生”の原点になっています。

――田中さんの今後の目標を教えてください。

田中:大学で学生のみなさんに教えることにもっとチャレンジしたいです。実は2023年にクリエイティブイノベーション学科の岩嵜博論先生と「未来洞察」という授業を一緒に担当させていただき、とてもいい経験になりました。私はこれまでどんなデザインの課題にも試行錯誤で突破してきたところがあったので、やり方を誰かに丁寧に教わったこともないし、その場で考えて我流で方法論を考えてきました。学生さんに伝えるときに、今までやっていた自分の作業を言語化し、秩序立てて説明することは難しくも新しい発見のある体験でした。これまで私が開拓してきたことをきちんと次の世代に伝えて、その世代がさらに新しいものを開拓していってほしいと思っています。

――最後に、ムサビを受験しようと考えている人に向けてメッセージをお願いします。

田中:ムサビは新しい世界との接点をたくさん持てる場所であり、懐の深い学校です。私のように、やったことがないプログラミングで卒業制作の作品をつくるなんて言い出しても、いろんな人が話を聞いてくれて、助けてくれる環境がありますから。

ただ、学びは主体性が大事。ムサビは理論や技術を教えてくれる以上に、「なにかをやりたいと思ったときに後押ししてくれる」場所です。はじめは「こんなことをやりたいけどやり方がわからない」という状態だったとしても、先生や友人、先輩、後輩から、先生の仕事仲間くらいまで、いろんな方が力を貸してくれると思います。