取材:2021年2月
土田 義昌(つちだ・よしまさ)
1991年 造形学部彫刻学科卒業
卒業後、教務補助員や彫刻学科研究室の助手、田中誠治アトリエ賞によるパリ留学など、さまざまな職を経て、広尾学園の美術教員に。彫刻家として石彫で個展を開くほか雪像づくりの第一人者としても活躍中。
折にふれてつながる縁に
導かれるように美術教師へ
土田さんの現職は、東京の名門私立・広尾学園の美術教諭。しかし土田さんがこの仕事に就くまでには、実に多くのステップがあった。
「武蔵美での4年間は、ひたすら彫刻制作に打ち込んでいて、正直、先のことはあまり考えていませんでした。見かねた恩師が研究室の教務補助員をさせてくれたのを皮切りに、転職を繰り返しましたが、中でも思い出深いのは、千葉にあった行川アイランドの企画担当。人気回復のテコ入れにと、知人に声を掛けられたのです。
いろいろイベントを考えてヒットも飛ばしたのですが、結局2001年に閉園が決定し、次は園に出入りしていた造園会社へ。
なかなか腰が落ち着かない中、子供も生まれたしもっと安定した職を…と考えていたところ、かねがね心配してくださっていた就職課(現:キャリアセンター)の方が、非常勤の美術教諭の募集があるよ、と。それが広尾学園でした」。
武蔵美もすごいですよね、とっくに卒業したOBの面倒まで見てくれて、と語られる職歴が、まるで落語のように面白い。ここぞというタイミングで、ふと周囲から声がかかって道が拓けるのは、土田さんのチャーミングさゆえだろう。
「基本的に、ご縁があったなら選り好みせずに何でもやってみるタイプなんです。ただし、僕は彫刻がやりたいので、仕事一筋にはなりませんよと率直に言ってしまう。そんな我儘ばかりだったのに、気づけば社会に出てもう30年ですからね」。
事実、土田さんは様々な職歴を重ねつつ、彫刻家としても精力的に活動し続けている。基本は石彫だが、最近では雪像彫刻にも力を入れており、その作品は国際的な雪像彫刻大会のグランプリを獲得しているほど。彫刻は、土田さんの人生のゆらぐことなき柱なのだ。
異なる仕事の経験が
次のステージで役立って
そんな土田さんと彫刻との運命の出会いは、中学時代まで遡る。たまたま入った仏像彫刻クラブの活動にのめりこみ、美術コースのある高校に進むことにしたのだ。
「美術の先生はいつも遅くまでつきあってくれて、ありがたいけど大変な仕事だなあ、僕には絶対無理だと思っていたんです。それが、気づけば自分もですから」と土田さんは苦笑する。
美術教諭として採用された2005年当時、広尾学園(当時は順心女子学園)は少子化による学生確保の難しさなどから、共学化への転換を模索している最中だった。そんな中やってきた新任教諭に、学園はいきなり2007年度の志願者を募る広報活動を託す。
「上司がもう一人いるにはいましたが、駆け出し教師にそんな無茶なと思いました。でも考えてみたら行川アイランドでは、数千人規模のイベントを成功させたこともある。数百人の志願者を集めるぐらいなら、やってやれないことはないかと、あっさり肚が据わったのも、この経験があったからでしょう」。
当時、学校の広報活動は何校もの合同説明会が中心。現在の広尾学園のように、一校で数百人が集まるような状況ではなかった。そこで土田さんは、他校がどのように広報しているかを調査して、よいものは真似し、さらに差別化できる企画を考えた。
「一番反響があったのは、校名入りのバッグ配布キャンペーンですね。いろんな学校のばらけた資料をまとめられる大きなバッグを配って、有楽町駅前を広尾学園のグリーン一色にしたんです。こちらとしては狙い通りでしたが、後で他校からクレームが入って、バッグ配布は禁止になってしまいました(笑)」。
あの手この手のPRの甲斐あって、新生・広尾学園の学生は急増。現在に至るまで、安定した受験者数を誇る人気校となった。
自分が見てきた世界の広さを
子供たちにも伝えたい
今、土田さんは中高の美術教諭と、中高の本科コース統括長とキャリア教育に携わる仕事を兼任している。
「優等生が卒業後、そのまま教壇に立つことが多い教員という職で、自分のようにいろんなことをやってきた人間は珍しい。その経験を学生指導に活かす裁量を、かなり自由に与えてもらっていると思います。
幸い学園 は中高一貫で、高校受験についてはさほど悩まなくていい。その分、生徒たちの可能性を広げる機会をあれこれと設けています」と、指折り数える土田さん。
春の校外学習、林間学校に代表される学年別の宿泊研修、生徒自身が選んださまざまな分野の講師を迎える広尾学園スーパーアカデミア。その企画にも、武蔵美時代の仲間たちを呼んで話をしてもらっているという。
「生徒のキャリア教育は、どうしても、どの大学を目指すかが主眼になってしまう。でも、現実には別の選択肢だってたくさんあるわけです。だからまず、世界の広さを知る。その上で、自分はどんな物事に関心を持つのかと考えてみる。そういう経験を中高6年間でたっぷりしておけば、人生はずいぶん豊かなものになると思うんですよ。
これまで送り出した生徒の中には、僕の影響で美術やデザインが好きになり武蔵美に進学した子もいて、なるほど教師冥利とはこういうことかと嬉しくなったりしてね」。
彫刻家としてのあくなき創作意欲も、子供たちのために日々知恵を絞るのも“自らの想いを表現する”という意味では近い。
人の縁に導かれながら、教師という職にめぐりあった土田さんにとって、生きること、働くことのすべてがアートなのかもれない。
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