<卒業生データ>
井部花澄
2024年 工芸工業デザイン学科卒

株式会社ヨウジヤマモト
アトリエ(Yohji Yamamoto)
企画


――現在の業務内容について教えてください。

井部花澄さん(以下、井部):ファッションブランドの株式会社ヨウジヤマモトで生地企画をしています。同社のなかにはレディースラインのY’s(ワイズ)や、メンズラインのYohji Yamamoto POUR HOMME(ヨウジヤマモト プールオム)など、さまざまなブランドラインがありますが、私は主にハイエンドラインの「Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)」の担当をしています。

――生地企画というのは、具体的にどんな仕事なのでしょうか。

井部:生地の素材を選んだり、柄をデザインしたりする仕事です。柄といってもいろいろあって、たとえば特定の柄を繰り返し配置したいわゆる「パターン」をデザインすることもあれば、ドンと大きくプリントするための絵を描くこともあります。

ヨウジヤマモトは、一般的なアパレルブランドのイメージとは少し異なり、コレクションに出す“作品”を生み出し続けている会社です。代表である山本耀司が頭の中でイメージする服を具現化するために、いくつかお題をもらい、そのお題に対する私なりの答えを試作品としてつくり、コメントをもらってはまた打ち返す日々を送っています。とにかく具体的なイメージをもって擦り合わせることが大事なので、ときにはひとつの服に対して20以上のパターンを出すことも。ああでもない、こうでもないと、パタンナーをはじめとしたスタッフとアイデアを出し合いながら進めています。

――ファッションに興味がある人は、進学先に大学ではなく、専門学校を選ぶ人も多いと思います。井部さんがムサビを選んだ理由を教えてください。

井部:両親が美大出身で、デザインに関わる仕事をしていることもあり、私も中学、高校とデザインを勉強する学校に通っていました。だから入学前から「デザイン=仕事」という認識が強く、初めから「この道で食べていくんだ」という覚悟が決まっていたのだと思います。

ですが、正直どの道で生きていくかは、まだ定まっていませんでした。だから工芸工業デザイン学科のように、テキスタイルや染色のようなもともと得意だった分野だけでなく、金工、陶芸などさまざまな授業を受けたうえで、自分が進むべき道を決められるスタイルが合っていると感じ、ムサビを選びました。

ただ私が入学した年は、コロナ禍の影響をダイレクトに受けた時期。1、2年生のころはほぼオンラインでの授業で、手を動かすような演習系の授業を満足に受けられずに進路を決めなければいけませんでした。誰のせいでもなく仕方がないこととはいえ、苦い思い出です。

――たしかに一番大変な時期でしたね……。在学中はどんな作品をつくっていたのでしょうか。

井部:一番思い出深いのは、卒業制作です。私は非日常でポップなデザインの衣装を5体制作しました。正直、成績としての評価はあまりよくなかったんですよね。でも実は、アーティストの「あの」さんが、その5つの衣装のうちひとつをテレビで歌唱するときに身に着けてくれました。好きなスタイリストの方がいて、過去に自分の作品を売り込んでいたことがあり、そのご縁から実現したんです。

卒業制作の作品は、「武蔵野美術大学 工芸工業デザイン学科 クラフトデザインコース卒業制作学生有志展2024」として、東京・青山にある「Spiral」でも展示
卒業制作のなかの1着をアーティストのあのさんが着用

もちろん、卒業制作として成績が芳しくなかったことには落ち込みました。だけど、私は、卒業制作のためにつくって終わりの「作品」ではなく、あくまで誰かが着てくれることを前提とした衣装という名の「商品」をつくっていたのだと気づいたんです。

着てもらえて初めて意味がある。そう考えながら制作していたので、こうして実を結んだ経験が、私の小さな自信になったのは間違いありません。

――在学中から才能を開花させていたのであれば、作家活動の道もあったかと思います。就職することは初めから考えていたのでしょうか。

井部:悩みながらの決断ではありましたが、新卒と呼ばれる時期は人生に一度きり。いましか入社できない会社、できない仕事があるかもしれないと、就職の道を選ぶことにしました。

先にほかの業界の企業に内定をいただいていたのですが、どうしてもしっくりこず、ファッション関連の企業をあらためて探すことにしたんです。あとから振り返ると、その違和感の正体は、最後まで責任をもって自分が携われるか否かの違いだったのだと思います。内定をいただいていた会社では企画職での採用だったのですが、実際に手を動かして形にするのは別の部署の人。私は自分が企画したものは、最後まで自分の手でやり抜きたい。しかも自分と同じくらいか、それ以上の熱量で一緒に制作できる人とやりたいと感じました。

――就活中は、どんなふうにキャリアセンターを活用していましたか。

井部:過去の卒業生が制作したポートフォリオを見に行くために、何度も通っていましたね。とても有意義に活用させてもらいました。

ですが、先輩方のポートフォリオを見すぎてしまうと、フォーマットのようなものに則ってつくることになってしまうので、受けたい会社が求めているもの・ことを分析しながら、個性を前面に出して作成することを意識しました。

たとえば、ファッション業界は、文章よりもビジュアルで勝負するほうがいいだろうと考え、自分の作品が生まれた背景や思考を説明するテキストは一切載せず、ただ写真を並べるだけの見せ方で統一したんです。結果的におもしろがってもらうことができ、かえって一つひとつの作品についてじっくりと話を聞いてもらえたように思います。

――ヨウジヤマモトに入社してから、特に印象に残っている業務やプロジェクトがあれば教えてください。

井部:ありがたいことに、新卒で入社した私もパリコレのチームメンバーのひとりに抜擢していただいたことです。1年目から参加できるのは本当に稀なようなので、とても印象に残っています。

とにかく時間に追われるのがパリコレ。前日の夜に本番でモデルさんが着るサンプルがようやく届いたりする世界なんです。まるで文化祭の前のような状態が1年ずっと続いている感じ。とにかく仕事に明け暮れた1年でした(笑)。

――仕事をするうえで、常に心がけていることはありますか?

井部:あまり考えすぎないことでしょうか。考えすぎる前に、まずは手を動かすこと。つくりながら考えたり、探ったりするんです。相手が求めていることがなんなのかを熟考する前に、まず試作を数パターンつくってしまうこともあります。まったく的外れでもいい。それでも私が出したものに、相手がポロっとこぼした言葉がヒントになるんですよね。そのヒントを取りこぼさないように次の試作に反映させ、ブラッシュアップしていく。スピード感をもって仕事をすることを心がけています。

2024年6月にパリコレクションで発表した、「Yohji Yamamoto POUR HOMME」の2025年春夏のコレクション。井部さんは左の全アイテムと、右のジャケットの生地の柄を制作した

――あらためて振り返って、ムサビに入ってよかったと思うことはありますか?

井部:美大全般に言えることかもしれないのですが、純粋にものづくりを楽しむことが正当化される環境に身を置けたのは、人生のなかでとても貴重な時間だったと思います。

ムサビ以外の友人などと話をすると、「大学の4年間は暇で遊んでばかり」と話す人が多く、「え、そうなの?」と驚いたこともあります。私たちは課題や作品づくりに追われた4年間だったので……。でも、この4年で真剣に課題に向き合った時間の濃さは、絶対に自分の肥やしになっているはず。きっとこの感覚は、ほかの大学ではなかなか味わえないものだったのだろうと思います。

――最後に、今後の目標やチャレンジしてみたいことがあれば教えてください。

井部:柄物のテキスタイルデザインだけでなく、ツイードの企画にも挑戦することです。もともと織物が好きで、糸の染色や柄の組織なども勉強して腕を磨き、いつかヨウジヤマモトのなかで作品を発表できたらうれしいですね。

一度は別の業界に入ろうかと就活中に何度も回り道をしたけれど、数年後振り返ってみた時に「自分のファーストキャリアは、ここで間違いなかった」と納得できる仕事ができるように、これからも愚直に目の前にある仕事に取り組んでいきたいです。